習慣化コンサルタントの古川です。
詩人、坂村真民さんの
言葉に次ものがあります。
悟りとは
自分の花を咲かせることだ
どんな小さい 花でもいい
誰のものでもない
独自の花を 咲かせることだ
(月刊致知2020年4月号より)
悟りとは私は目覚めることだと思います。
目覚めるのは、本当の自分。
自分の花は、どんな独自のものか、
そこに目覚めたら、本当の目標が見つかる。
生き方に革命が起きる。
この目覚めは、本質を探求することにあります。
一朝一夕では無理。
自分と向き合い、
以下のプロセスを経ることです。
感情的臨界値を超えると
洞察の瞬間として、
本当の自分が見える。
平時には見えない。
葛藤の末に、
これが自分だ!
と思えるものを感じとることができる。
それは嫌なことをやったり、
究極に人間関係で行き詰まったりして、
感情的臨界値を迎えているときに
目覚める可能性が出てきます。
臨界値にあるからといって、
目覚めるかどうかは別ですが、
臨界値にないと、
目覚めはやってこない。
私はそう考えています。
自分らしさへの目覚めとは、
そうとう自分らしくないことへの葛藤と
「もう限界だ!」という感情がなければ、
脱皮しない。
芋虫が蝶になるのは、
美しく見えるかもしれませんが、
芋虫にとっての死であって、
目や体が避けてボロボロになるプロセスであって、
そんなところを通過するから次の自分が開けてくる。
でもきついことですよね。
だから自分に目覚める、
というのは「平時、安全、安心、安定」
のときには迎えにくいプロセス。
平時、安全、安定、安心が
続くならそれでいいし、
一番ですよね。
でも
危機、リスク、不安、混乱、心配
の時は、目覚めへのチャンスと
捉えてみると、大きな飛躍へのステップです。
今、コロナウィルスで
当社も相当経営打撃を受けております。
しかし、機会と捉えるならば、
事業を再設計して、
何が大切なことで、
どこに集中するかを改めて考えるチャンス
つまり、感情的臨界値だから
洞察の瞬間を迎えるチャンス。
今、いろいろ向き合っております。
こういうことでもないと、
平時は、忙しくて、そんなテーマに向き合うこともないので
機会と捉えて今は足元を見直し、将来像を
描いております。
テーマに戻ると、
自分の花を咲かせること
とは何をすることか、何を捨て、
何に集中していくべきか
と改めて自省しております。
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