「悪い習慣17 自力本願で努力し続ける | 人生を変える「習慣化」ブログ

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習慣化コンサルタント古川が綴る「人生を変える習慣」
人生が変わった!という深い感動を共に味わう
を使命に、日々の気づきを発信しています。

 

習慣化コンサルタントの古川です。

 

 

私たちの結果は、

環境や場に左右される。

 

だから、結果を変えたければ

環境を変えよう!!

 

これは、場のせいにして

自分の努力を放棄しているように聞こえるかもしれませんが、

実は、偉大なる仕事は個人というより、その場が支えている。

 

私は、クリエイティビティを磨くべくたくさんの

本を読んで来ましたが、

ある意味では、肩透かしを喰らったものの

見事に本質をいい当てている本がありました。

 

チクセントミハイ「クリエイティビティ」

です。

 

 

この本の中には、次のように書いています。

 

 

創造的という評価に値するアイデアや成果は、

多くの源泉の相乗作用から生じるものであり、

決して一人の人間の精神から生まれるものではない。

 

創造性を高めるためには、

人々がより創造的に考えるよう策を講ずるよりも、

周囲の環境を変えたほうが簡単である。

 

 

本書の冒頭にこのような記述を見た瞬間に

激しい憤りと肩透かしを喰らった気持ちが強かった。

 

私はクリエイティビティは、

スティーブ・ジョブズやアインシュタイン・ニュートンのように

個人が成し遂げるものだと信じきっていたからです。

 

しかし、本書では、

次のような例を出して、個人より場・環境が与える重要性を説いています。

 

1つの良い例が、1400年から1425年にかけ

てフィレンチェで起こった芸術的創造性の突然噴出である。

 

もし、創造性が完全に個人の内部にあるならば、

14世紀の終わりの数十年のフィレンチェで、異常なほど

多くの創造的芸術家が何らかなお理由で生まれたことを議論しなければならない。

 

理解しておくべき重要なことは、フィレンチェの銀行家や聖職者、

大きなギルドの親方たちが都市を威圧的なほどに美しくしようと決めた時、

単に芸術家にお金を投げあたえ、ことの推移を見守って来ただけではなかったということである。

 

彼らは完成させたいと思う作品を奨励し、評価し、剪定する過程に熱心にかかわった。

芸術家たちに限界以上の仕事をさせたのは、一般の人々に加えて、有力な市民が

真剣に彼らの仕事の結果に関心を寄せたからである。

 

フィレンチェのルネサンスがあれほどまでに実り多く、豊かだった主な理由の一つは、

パトロンたちが積極的に芸術家に斬新さを求めたことにある。

 

 

私は、ダヴィンチとミケランジェロの展示会に行ったことがありましたが、

同時代、二人はコンペなどで直接対決をしたりとライバルだったんですよね。

 

しかし、1400年代ー1500年代の彫刻家・画家を超える才能は

それ以降出てこなかったのか?

 

ルネサンス時代に芸術的な才能が固まっていたとは考えにくく、

それが生まれる土壌があるから、個人のクリエイティビティは花が咲く

とチクセントミハイ氏はいうのです。

 

これは確かに納得です。

 

今、幕末の志士、西郷隆盛の「西郷どん」が放映れていますが、

坂本龍馬しかり、西郷隆盛しかり、この二人の功績は

確かに素晴らしいが、果たして幕末に生まれなければどうだったか?

 

おそらく、龍馬は土佐の下級武士のまま歴史の表舞台に出てくることはなかったでしょうし、

西郷隆盛も同じでしょう。

 

彼らを、その幕末という環境・場が生んだとも言えます。

 

最後に、個人と環境の相互作用について引用を

出して見ましょう。

 

創造性を理解するためには、新たなアイデアや新たなものの

形成にもっとも寄与したと思われる個人を研究しても十分とは言えない。

彼らの貢献は欠くことができない重要性を有しているが、

その一方で、鎖における一つの輪に過ぎず1つのプロセスにおけるある1つの段階でしかない。

 

トーマスエジソンが電球を発明し、

アルバートアインシュタインが相対性理論を発見したというのは

都合のいい単純化である。

 

それは、理解しやすい、超人的ヒーローが登場する物語を好む、

という古代から私たちの好みを満足させてくれる。

 

しかし、エジソンとアインシュタインの発見は、

それ以前の知識や彼らの思考を刺激した知的および社会的ネットワーク、

彼らの革新的な考えを評価し、それを広げた社会の仕組みといったものなしに考えられない。

相対性理論はアインシュタインが生み出したというのは、

その火の原因はその火花であるというのと同じである。

火花は必要だが、空気と火口がなければ炎になることはないのである。

 

創造性とは、人々の頭の中で生まれるものではなく、

個人の思考と社会文化的な文脈の相互作用のなかで生じるものと言える。

 

 

個人の力がクリエイティビティに影響しないわけではありません。

相互作用だというわけですね。

 

しかし、個人の影響より場の影響が大きい。

この考え方は、私にとって危険思想、ある意味では努力を否定する

邪道な考え方に聞こえましたが、自らが独立をして環境を営業からコーチング、

会社員から個人事業主に変えた時に初めて開花した才能がいくつもあります。

 

これは、場・環境を変えなければ

絶対に日の芽を見ないものばかり。

 

そういう意味において、

自力本願で成果を高めるために、

能力開発することも大切ですが、身を置く環境や職種、会社、人間関係

プロジェクトによって自らの成果も変わる。

 

会社の配置転換や

転職は才能を花開かせる転機になるかもしれません。

 

 

その場・環境を変えて成果を変える。

 

逆転発想ですが、すごく今は腑に落ちています。

 

私もどんな場をつくり、どんな環境に飛び込もうか

と考えを巡らせています。

 

 

悪い習慣    自力本願で努力し続ける

良い習慣 場の力を上手に活用する