無事私立D高校に入学した。

D高校は

京王線や小田急線を使って通学する学校だが

その当時は女子校で、

偏差値が低い高校で有名だった。


制服は丸襟シャツで紺のジャンバースカートにボレロという珍しい制服だった。

ジャンパースカートはAラインだったが


入学してすぐ先輩方を見ると

ほとんどの人がタイトスカートになっていて

可愛かったので、

私もタイトスカートになるように

母に頼んで縫ってもらいリメイクしてはいていた。


この頃の時代はギャル全盛期だった為

私の学校はギャルかヤンキーがほとんどだった。

みんな安室ちゃんやあゆに夢中だった。


私は、それ以外の美容師系や服飾系の子が憧れる

CHARAやJUDY AND MARYのYUKI

に夢中になり話の合う子達と仲良くなっていった。


私の友達はみんな問題を起こすタイプ

ではなかったが、

ギャルのクラスメイトはたびたび問題を起こしていた。


まずこの学校に入学して驚いたのは

英語がABCから始まりほとんど中学校のおさらいで

そのレベルの低さに私はカルチャーショックを受けた。


今まで小学校中学校と落ちこぼれでアホ扱いされていた私が

まるでドラえもんのあべこべ惑星でのび太が優等生になったかのような感覚で

私はこの学校で急に出木杉くんになっていた。


それから毎日驚きの連続で


①おじいちゃん先生の授業でカーテンに隠れて

すってはいけないものを

すったりはいたりしてしまう子。


そして

目が飛んでるのを初めて見る事になった私。


②制服に赤いハイヒール👠履いてくる子。


③学校の床がその当時絨毯だったので

お掃除は掃除機だったのだが、

お弁当のじかん


クラスのギャルが


『あっばばあ漬物嫌いって

       言ってるのにいれやがった』と

言った後

床の絨毯に漬物を飛ばしてわざと落とす…。

それがカッコイイと思っている子。

(美化委員だった私はギャルのゴミを何も言わずイヤ言えずにそっと拾ってゴミ集め笑)


④金髪のボブの赤い紅のまゆほその子は

突然『ねーすーさんちょっと手出して』と言われ

て手を出すと


噛んでたガムを私の手のひらに出して笑った。

何が楽しいのかそれがわからず

フリーズした私。

そんなことをされてもいじめだとかは思わなかった

あまりにアホすぎて傷つきはしなかった。

でもそれを見ていた友達Hちゃんが

『おい。何してんだよ。

すーさんにあやまりなよ。』

と言って守ってくれた。

私はボーとしていたけどHちゃんから

『すーさん。笑ってないの。こういう時には怒るんだよ』と言われて学んだ。

そうか。こういう時って怒るんだ…。


⑤休み時間にキャーという悲鳴。

トイレでギャルが倒れてた。

野次馬だらけでざわついていた。

保健室に運ばれた。

どうやら前日バイト先のキャバクラで飲み過ぎて

寝不足で倒れたと…どうなってるんだこの学校は


⑥通学途中変質者だらけ

(1)コートきたおじさんがチャリ乗ってて前から来た

真ん中の部分全裸プラプラ。


(2)おおきな通りにトラック3台止まってる

コンビニ前昼買って学校行こうと

トラック運ちゃんがこっち見てなんかしてる🥶


(3)寒い日、自販機の配達の兄さんに声かけられて

道を聞かれる。

『君の学校の近くの販売機だと思うんだけど道迷ってしまったから寒いから車に乗って教えてよ。』

と言われてあまりに寒い日だったため0.1秒迷い

やめたが無理矢理乗せられかけ逃げた日

先生に学校行って話すとけっこう大ごとになってて驚く私。


(4)学園祭準備で放課後周りのお店に買い出しに行ったりと忙しくしていた。

すると一台の白い車が停まり

話かけられた。中にはヤンキーみたいな男子2人


『ねえ、この学校の子でしょ。

           今から遊ぼうよ 』

と言われて怖かったので、

    『あの学園祭の準備があるので』

            ときちんとお断りすると

『馬鹿じゃねーの?!ブス!!

       ブスが断ってんじゃねー』と

車からツバをかけられて私の足元に飛んだ。


するとヤンキー達は車で颯爽と去って行った。

ヒューヒューカッコいい…訳がない。

めっちゃいやーな気持ちになり

また先生に伝えた。


と高校の思い出を振り返れば振り返る程


ヤバい!!やばかった。おかしな事だらけだ。


しかし、

この学校で3年過ごした私は

自分がまともな事に気付いて

自信がたくさんついた。


先生方は大変だったと思う。でも一人一人に向き合ってくれた良い学校だったと思う。

ありがとうD高校🫡





そんな劣等生だった私は

お笑いが大好きで、

おうちでお笑いを観ている時には

いろいろなモヤモヤも消えて

楽しく過ごせていた。


私は小学校中学校とシャイの内気の

赤面症だったが、

授業中だけで高学年の頃には女子の前では

ボソボソとお笑いについて語る

ちびまる子ちゃんの

野口さんのような子供だった。(自己分析)


自分でも自分の幼少期を思い出すと

クセが強めで笑える。


小学校の時は

欽ちゃん。鶴太郎。

とんねるず。

チェッカーズが大好きで、

TVでやっていた事を女子同士で

盛り上がり楽しかった。


中学校の時には吉本印天然素材

通称 てんそ

が大好きになりハマった。


中でも99の岡村さんが大好きで

無料で観れるライブや撮影があれば1人でも並んで

観に行っていた。


今思うとあの時の行動力と情熱とお金はどこから出ていたのか疑問だ。


ハマれるものがあり楽しく過ごせていたから良しと

したいが中学生には

高校受験という試練が待っている。


私ははじめにも触れたが


お勉強がまったくの子供だったので

都立でも1番下の

都立I高校か


下から2番目の

都立M高校にしなさいと

担任の先生から言われていたが


私は下から3番目の

都立N高校に行きたいと先生に伝えていた。


すると

普段から成績も悪い

提出物もきちんと出さない

私が内申点が良いはずもなく


担任の先生は私を5日間呼び出し

志望校を代えるように話をしてきた。


ただ、その頃の私は勉強も出来ないのに

プライドは高く


今勉強たくさんしていますから

絶対に成績あげて頑張って都立N高校に行きます!!


と担任に伝えて断り続けていた。


お勉強も少しずつは上がってきたのでもしかしたら受かるかもくらいの挑戦ではあった。


しかし、残念ながら都立N高校に


不合格。


そして滑り止めで受けていたと思っていた私立T高校は


だだの一般受験をしていただけで

(最近併願していなかった事に気づく…30年たって…(・・;)ずっと滑り止めが滑ったと思っていた。)


不合格。


そして、都立の2次募集で受けた都立M高校。

なぜか

最初のN高校より偏差値の高い高校を受けて


不合格。(そりゃそうだろーって当時の私にツッコミ入れたい…)


中学3年の冬3つの高校を受けて落ちた。


ずっと泣いて落ち込んでいたが

落ち込みながらも少しずつ強くなってきた。


そしてやっと4次募集していた私立D高校

に中学校の卒業式の前日に合格した💮





小さい頃私は泣き虫で

お勉強も嫌いだったので

先生に質問されても答えられず

同級生の目が怖くて怖くていつも授業を

止めてしまっていた。


今の小学校や中学校は違うかもしれないが

昔は先生から質問されたらわかりませんとか

自分の意思や意見を

みんなの前で言わないと

『わかりません』

というまで授業が止められる…。


イヤーな拷問みたいな流れがあった。

同級生からはため息😮‍💨


先生も私に発言させるのをヤケになっているかのように。


『鈴木なんか言え。わかりませんって言えば終わるんだよ』


と言われ


同級生からも休み時間に

『お前のせいで授業進まないじゃねーかよ。

ふざけんなよ。授業とめやがって…』


と言われた。


小学校の時にも中学校の時にも私はさほど変わらず

先生達からは劣等生の扱いをうけていた。


中学の時には妹がとても成績も良く

学年の人気者

だった為


妹が中1で私が中3の時にはいろいろな先生からも

妹と比べられて、イヤな思いをたくさんした。


『鈴木お前の妹は優秀だな。お前はどうしたんだ?

もっと頑張れよ。』


先生に授業であてられるときにも

妹は先生方のお気に入りだったので


『〇〇子ちゃん(妹)のお姉ちゃん』って言う

あてられ方をされてすごく傷ついた。


私にも名前あるのに…。


同級生には

『鈴木お前の妹すげーな。紹介して』

とかイヤーな仕打ちをたくさんうけていた。