第七章 人間、このすばらしい可能性を秘… ③生命のホーリスティクな在りよう…Part2 | 心の奥のすばらしい真相に目覚めて生きよ!―人間は、肉体の死を超えて進化する―

心の奥のすばらしい真相に目覚めて生きよ!―人間は、肉体の死を超えて進化する―

心の奥には科学的常識を超えるすばらしい可能性がひそんでいます。その可能性に目覚めて生きるなら、人生を希望をもって心ゆたかに強く生きられるようになるのです。このブログはそのことを真剣に論証し、具体的方法を提案するものです。※不許複製・禁無断転載

ホーリスティクな視点を欠くと 
まず、現代医学の在り方については次のようです。

「従来の対症療法的治療では患者を診るとき患部そのものに注目し、その部分を対象に治療しようとします。場合によってはそれをいきなり切除するのです。しかしホーリスティク医学の観点に立つと、医師はまず不調を起こしている身体全体、患者全体を診るのです。患部そのものを常に全体の不調和との関連で捉えようとします。

西洋医学的な還元主義的・機械論的診立てや手法とは逆に、東洋医学的な診立て、すなわち患者の疾患部の原因を、心・人格をともなった心身複合体の乱れに、さらには環境や天地とのかかわりにおける乱れに求めようとするわけです。」

 これを読んだとき、私が聞いたやや問題が感じられる精神科医のケースが思い出されたのでした。その医師は心の病をもつ患者に対する治療法として、もっぱら睡眠薬、抗うつ剤等の薬を処方するのです。薬に絶対の信頼を置いているのです。

しかし、心の病の多くは対人関係のもつれや仕事上の悩みなどによる患者自身の深刻な心理的不調和から生じるものです。そうであれば、医師はそれらの心理的不調和をもたらした原因を探り当て、それに対する対処法を示す必要があります。そのことに重きを置かず、先の薬を処方するだけでは、根本的な治療効果を期待することはできないのではないか。こうした精神科医に欠けているのは、まさにホーリスティクな医学の視点ということになるのではないかと思ったのです。

 つづけて渡辺氏は、ホーリスティクな視点を欠くことによって生じる、すなわち自らのよって立つ根源を見いだしえないでいることによって生じる悲劇を数え上げていきます。ここでは、それらのうち二つを紹介することにします。

 ひとつは現代の典型的な病気である癌です。いまひとつは深刻化しつつある青少年の非行や犯罪の問題です。癌という病気は、ホーリスティクなあり方を忘れた非本来的な細胞がもたらす病気の典型とも言えるものだというのです。なぜなら癌細胞は、おのれを生かす全体との関係を無視して自己主張し自己増殖を続けることによって、自己もろとも全体を破壊するものだからだというのです。

青少年の非行や犯罪については(実は大人の犯罪についても言えることですが)すべて心の病からきており、渡辺氏は「それはこの社会そのものに内在する病の、外に現れた病状と理解すべきだろう」と、社会の病的あり方との関連で述べようとします。われわれの社会全体がもっとも根本的な何かを欠いているから、少年たちはそれに敏感に、しかし自分ではそれとは知らずに感じ取るのであって、それが「荒れる」、心も行動も荒れすさむという現象となって現れるのだと言います。

渡辺氏によれば彼らは初めから犯罪者であるわけはなく、何か確固とした頼りになるものを求めているが、それが見いだせない、分からないでいることの結果なのだというのです。したがって、こうした非行や犯罪から気づかなければならないのはホーリスティクな視点の欠如です。すなわち「『我々がその中で生かされ』、そのために生き、自分の存在がそちらへ向かって開かれ、そこから生きる意味を与えられる『不可視の究極的全体』というものが、我々の意識の中に普段に存在しなければならない」ということなのです。


「不可視の究極的全体」を無視すると

 渡辺氏はこうした病的身体や病的心のあるべき治療の姿を踏まえ、人々を人間の本来的在り方への自覚へと促すために、さらにつぎのように深い考察を続けます。
 
 「治療とは人をwholeな状態に本復させることだと定義すれば、これは単なる病気や怪我の治療を超えて、病気や怪我の治療がそのほんの一部であるような、人間の本来性への復帰あるいは到達を意味することになる。すなわち『癒える』とは、『より大きな全体との関係が非本来的な状態から本来的な状態に本復すること』である。我々の内部に非本来的自己から本来的自己へと『呼ぶ声』すなわち良心があるように、我々自身の中に本来的な状態へと呼び戻す力、すなわち癒える力が備わっているのである。『良心』も『治癒力』も、自己中心に生きることをやめて、より大きな全体のために生きるように、より大きな全体との関係を修復するように、我々を導こうとする、(言わば)我々自身に内在する神聖な力なのである。・・・この力は宇宙の進化そのものの方向性として、被造物たる我々の中に最初から組み込まれている力であって、我々が自力で開発したものではない。そして『より大きな全体との関係を修復するように』という導きは、究極的には『汝の根源との関係を修復せよ』という導きなのである。」

 こんなふうな、人間本来の真実な在りように目覚めさせるきわめて画期的な論述ののち、渡辺氏はさらに論旨の核心部分へと突き進んでいきます。

渡辺氏はベルジャーエフの文章である「人間的個性、人間的人格が自己を肯定するためには、自己自身よりさらに高い原理と結ばれているものを意識しなければならない。そのためには神の原理の存在を認識しなければならない。人間的人格が自己自身しか知らないと主張するならば、それは自己より低い自然な元素的力の侵入を許容し、自らその元素と化することによって・・・自己自身を認識することもやめる。・・・人間が人間的領域の中で定められた原理以外のいかなる原理も知ろうとしないならば、人間は自己自身を知るのもやめる。・・・」を引き、「神の原理」すなわち「宇宙的な高次な秩序」あるいは「不可視の究極的全体」というものを認識し、それとの結びつきにおいて成立する人格でなければ、真の自己を肯定することにはならない、と述べるにいたるのです。

 私はここに、人間存在にとって抜き差しならない重要なメッセージの所在を見る思いがします。被造物としての我々の中には、我々の根源である不可視の究極的全体との関係を修復せよと促す力が最初から組み込まれているということ、それゆえ個性ある人間として真に自己を肯定するには、何としても不可視の究極的存在を認識しなければならないというのです。

しかしながら、不可視の究極的存在を明瞭なかたちで認識することは、現在のいまだ未発達な意識段階にある私たちには容易でないかもしれません。だからと言ってその存在を無視することは決して許されない、とつぎのように渡辺氏は続けます。「無視したままではやがて本来の自己自身を知ることをもやめてしまい、人間に備わっているはずの理想的な在り方やより望ましい生き方を目指そうとする意志や気力をも衰弱させてしまう」と述べ、人間が人間性を失う危機を訴えているのです。私もまったく同感で、現代がその危機的状況にあることを強く憂いるものです。

卑近な例でいえば、アメリカ金融業界に働く人々の強欲が、リーマンブラザーズの崩壊をもたらし世界経済に深刻な影響を与えたように、また、大国の事情や利益追求を優先させ、民族や宗教上の差別や貧困を放置した結果、それによって生じた残虐で破滅的なテロ組織集団・イスラム国が世界を震撼させてきたように、これらの事例が示すものは、究極的にホーリスティクなもの、私たちのよって立つ根源を無視しあるいは見失うことによって生じる自己中心的な生き方が、人間とその社会を荒廃の淵に追いやりかねないということなのです。












つぎの記事に続く
第七章 人間、このすばらしい可能性を秘めた尊き存在 ④シュタイナーの生命観