基礎基盤的な観念や皮膚感がある程度備わると、後は自己の好きなように関心が及ぶ事へ意識を注ぎ、好きなように育つ。この間に、大小の正負を体験し、身に染みて善し悪しへの見解が内蔵され、同じ失敗をやらないような制御性が生まれる。基礎基盤の適正は普遍的な確たる型枠を示す事が先人の責務になり、最低下限のインフラを示し、表現者にも当然備わる原理をもって遺伝子が継承される。実質的に生きていないような原理を観念的に美化して表現し、有りもしないような空疎性を殊更強調する態度には、表現者の歪な自己満足の世界を創出させる。分母的な良性と思われる長期性の確かな基礎基盤を最低限揃えるような根源性の問いと探求は、いかなる時代にあって続けられ、下限の基礎基盤を崩すことなく保たれて、その上に各自の個性が拓く様な作用が生まれる。個別的な興味を沸かせる動機づけにも至り、興味が湧けば好きなように物事を調べ、自己なりの見解を抱き、知る事が進んで、やがて作る工程へ次元が高まり、知る次元が作る次元へ進行して、人まねからやがて自己の改善を繰り返し、自己なりの確たる原型を築くに及んで顔の良く見える主体性へ至る。基軸となる根元と全体概念は一定の健全性を保つような感性を作り、間の工程には多様性が広がって根と全体の間が充実する。間の工程には多様な答えが作られ、ここは教えるような領域というよりも各自の関心や閃き、個性をもって自主内発の力を推し進めて、それを妨げないような意識が寧ろ重要に思われます。歴史的な研究を進めるもよし他空間の様式に魅力を抱くもよし、どんな点に関心を抱くも個性の内になる。きっかけづくりのような作用を専門研究者は作る事や、自己の型枠を形成し表現するような性格の研究など、専門家にもガイドライン的な作用や独自開発力へ進む作用等の識別が起こる。どんなスタンスで自己生産性を展開されるか、少なからず案内をもって、関心が生まれる人々が生まれれば需給が起こり意義ある活動と見做される。何でもかんでも、揃えたがるような発想が進み、違う事への否定的な感度を当て政治的な欲求を満たしたいという管理技術面への偏りには、豊かな感性や生産を萎ませ、歪な欲求の深まりと見受けられる。自己の関心は痩せて、外界のエネルギーに受動的な体質へ及び、評価ばかりに走り自己創造力へのエネルギーが下がり、安直な利益の生産と糧を得る規則性が作られる。どんなコンセプトや尺度を備えて外界への感度を当てるのか、基準が定かでなく一過的な趨勢へ従死生存を意図する発想や態度が強まると、外界への尊重心や肯定感よりも自己画一化を強要し管理的な発想が強められ、偏狭な基準と序列を与えて自己に有利な構図を強め生存を意図する態度が広がる。基軸的な道理が見えなくなり、虫食いの肌感覚で染まって外界を掻き乱す様な感性には良い心象が生まれない。こんな点からも現代文化論の領域が強調され確かな根源基盤を身に付け自己の見解を深め、基礎基盤の安定の上に多様な個性が寛容される。あんまり間の工程について事細かに教えるような工程や教育には良い成果は生まれないように思われます。入口と出口には一定の健全さが備わり、間の変換工程は多種多様な方法を開き躍動的な叡智が活性化する。健全性概念や堂々と歪んだ発想に逃げない透明感を持つ潔い性質という基礎基盤の善し悪しが、間の工程の善し悪しに連なり、基礎が腐ると良き多様性が生かされない。管理技術へ偏って固有技術への関心が進まず、入れ物ばかりで中身が希薄や、詐欺や盗みが慢性化する体系を生む。又は間の工程に偏して基礎基盤が痩せ細り見失われ、歪な感性に深まる懸念も浮かび上がり、基礎基盤の適正へと関心が強められる。基礎の腐りには深刻な態度をもって改良する事に力が進む。基礎が悪いと適度な緊張と緩和の周期が崩れて、下限的制約への制御も曖昧になりメリハリの悪いなし崩しの性質へ下落する。冗談と真面目な話との適当な峻別が起こって健康な性質が浮かべられる。道具の多用を持つ生活習慣が進行して、いきなりナイフで人を刺す等という、下限の解らないリアルさを喪失した感性が進む事への警戒が起こる。慢性化した盗み症や頭のでっかい歪な生産から、現実的な生身の感覚を喪失し根源的な劣化を生むように思います。最大集約的な全体観への意識が備わり、自己の好きな分野の世界観との相関へ思慮が含んで適当な表現が生まれる。こんなようなコンセプトをもって、重要管理点が特定され力の入り方が出現し当該領域の特徴が示される。
最大集約的な 全体観 |
変わりづらい全体概念 |
自然と人間と道具の良性と持続性 |
間の工程 |
多種多様な個性 |
多様な生産と消費と分配 |
根源性 |
変わりづらい 出力源 |
健全性、透明感 |