根本性の探求と自由度の広がる創造 | bisui.nihon 美粋書房

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『日本文化原論 真なる調和への道 神からのブラボォー』
(著 横山俊一)販売中

1) 歴史と理論化

反省と学びは人間の成長に欠かせない周期性を指す。しかし、他者へ損害を与え「すいません」等という反省の弁で留まると、頭の可笑しさが明瞭となる。この手の性格に力を与える事は間違っても出来ず、無能でだけでなく感性も壊れており、真面に相手をするに及ばない。馬鹿なだけなら許容性も少なからず起こるものの、感性が破綻しているのは許容できず、ゴミ扱いをすることに適正が起こる。典型的な精神破綻を指し特異な成長過程やストック過剰でフローの適正を欠いた不健全な人間性そのものを指し、酷く不快感を起こされる。まるで反省が形骸化し、自利に偏して他者への損失へ真面な感性が起こらず、成長意欲の薄い、創造力の乏しい性質と伺える。頭と体の分断や形骸化から真面な感性が宿らず歪な精神性が露になる。「辞めて済む」という発想に民間事業者では考えられない醜態が映り、実質的な真相真価を重んじずに形式上の役職を解いておしまい等というけじめのつけ方は、病理的であり負を正にして後世に繋ぐ意識と行為へ至るのが健康と映る。こうした性格の程度を早期に掴んで関わり方の程度が起こり「浅く短くか深く長く」という態度が生まれる。バカな奴なら許せるものの、感性の腐った奴は許容できない。こんなような体験を少なからず味わいながら人との付き合いを選ぶのが健康な活動を表し、主導的な配置の要件等と明瞭に刻まれ歴史と理論が作られる。適正な人間像や社会像、世界観や思想と起こされる。

2) 概念形成と臨場感や躍動感や生命観

概念の形成は、要素と要素関係という静と動の構成を纏めて名詞と付されて認識へ及ぶ。要素と要素は一方向的な因果なのか、相互性なのかによって並列や上下の関係が生まれる。大きな要素の一部要素か、対等の要素か等という吟味を持ちながら概念構造を体系化して感覚や感性が示され他者との実感の異同が確認される。あるべき要素関係か、有るがままの要素関係か、等という意識が働き表現に起こされる。

例えば、空気と身体との関わりが実感される、どんな関わりであるか、因果が掴まれ空気と身体の因果現象と名される。人と人の間で起こる相関には何があるか。身体的触れ合いや感性的な現象を主に要素関係が認識され人と人の生態系が浮かび生物現象と把握される。要素と要素の関わりから他の要素が起こるような変化に化学現象が生じる。

自然資源にある樹木を伐採し、精製加工して木材と均し、住宅資材と用いられる。要素に変化を加え名称が区分され認識される。名称を伝える事で、どんな段階にあるか樹木の状態を知る。現象の対象範囲が広がる場合には、動的過程の大枠と段階ごとの区分が想定され、動と静の相関をもって静に意味内容が加えられる。直接の皮膚感覚で実感される事から間接的相関を広げて実感する事まで現象の種類が生まれる。

現象の識別「有るがまま、あるべき、あるべきようにする」

現象の構成「要素と要素関係」「一方向性、相互性」「横と縦の構造」

因果の識別「物理性、化学性、生物性、心理性など」

現象の広がり「直接性、間接性」

現象の重み「根源、共通、個別」

現象の認識「動詞、名詞、形容詞」

 

3)根本原理の性格

「人権」と言った場合、何が要素でどの要素と関わりを持つか、因果の連なりが構成されて中身が浮かび上がる。

基本的人権は、「人権(じんけん、human rights)とは人間ゆえに 享有する権利である。人権思想 においてすべての人間 が生まれながらに持っていると考えられている社会的権利である[1] 。」と規定される。

つまり人に与えられる権利を指し、社会関係という限定で浮かぶ相関についての所与的な性格が規定されると解されます。社会関係の想定を起こすには?この場合の社会とは?

社会1 人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。「―に奉仕する」「―参加」「―生活」「国際―」「縦―」 (デジタル大辞泉より抜粋)

「人間の集団としての営み」という点に着目して、集団が構成されるには、同一の意思と遂げる体制や資源と手順を特定し、エネルギーの投入と産出と分配の仕組みをもって持続的な社会が生まれる。

このような社会の動態が総枠的に描かれ、各切り口を設けて、そこで見る良好なあり方を作り、動的流れと動的流れの区分と静的あり方を規定し、人権という概念が作り上げられる。投入と産出と分配に社会の持続性の骨組みが備わり、権利を持つにはエネルギーの投入と貢献をもって権利が分配されると見るか、投入に関わらず社会を作る前段的な権利と見るか、所与的な権利と関係の中で作られる権利が浮かぶ。

人権の規定された要素を見ると「包括的基本権、自由権、社会権、参政権、国務請求権、平和的生存権」と示される。包括的基本権が他の要素を包括する上位概念となるように伺える。包括的基本権は幸福追求権と法の下の平等の二つの要素で構成される。この観念の並列に、「国民主権と平和主義」を配して憲法の基本原理とされる。(ウィキペディアフリー百科事典より抜粋加工)

基本的人権

包括的基本権

幸福追求権

法の下の平等

自由権、社会権、参政権、国務請求権、平和的生存権

こんな階層構造のようであるが、上下の連なりが、私には良く整理された構造とは思えず、思慮の浅い断片区分の体系と映り体にスッーと入ってこない。或いは、幸福追求権等という事をなんで規定されるのか?ごく当たり前のような事まで一々明文化される事への疑問が起こる。国家という意識が強く、国家の許しを得て幸福が追求できるという構造にも映し出される。余計な規定を設ける事自体が人間の権利を狭めるような心象と映る。「してはならない事」を揃えて、社会生活の下限的基準を明瞭にして、他は自由という構造を設けた方が違和感は少ない。自由権や社会権等という下位の規定も同様であり、あまりしてよい事の限定を設ける事無く、エネルギー循環の根本原理というような点が抑えられて、下限的制約を特定し、個別的な応用を図れるような体系が望ましい。創造力を弱めるような限定を過度に作る事の弊害感が起こり、根本性の原理を探求し、その認識を揃えるような事から安定と共に自由度の利いた価値の形成と実現の工程が進むものと思います。国家が許しを与え、統治願望を強める態度に及んで余計な枝葉ばかりを作り、人間の根本的な原理への認識が欠落するような向きにおいては、良い社会関係の軌道には映らない。人々の志向性や時代にあった国家概念や人権規定が再考される。

4)根源性を掴む流れや根源性の喪失の弊害

人からの制約を嫌い、自由気ままに好き勝手という事態には、破滅の軌道が進み、暴走的な資本主義の悪性を予見する。物理性へ過度な従属的体質に嵌り、力の適正な活用を欠く人間破綻を招く事への確かな予防措置は必須であり、健康な人間性への問いを深めて根源性を体内に備える過程が作り込まれる。会社を買ったり売ったりという株式制度には、資本家による悪性現象と映り、この手の自由のはき違えに及ばぬ、健康な主体性を自主内発的に作る事へのエネルギーが高められて、無用に国家という枠組みで縛られる事のない主体性が進む。

長期的な観点で見ると道具への過度な依存から物理性を制御できるだけの適正な根源性を欠いた趨勢が見られ、この意味の物理化から下限的な基準への箍が駆らず、人間性の破綻軌道が浮かべられる。それへの対処に国家権力を当てて、破綻症を制御する態度には適正が浮かぶ。しかしながら、根源的な問題の解決には、自主内発の根源性を作り込む過程に視点が及んで、その過程の探求や吟味をもって実際化する想定が起こされる。

芸術や美術という開放的な表現についても、人間の根源的基盤の良性をもって自由の許容される或いは表現への魅力が生み出され、基礎基盤が可笑しな芸術家とは似て非なる事に映ります。

根本原理を掴みだす過程や、概念形成の過程は、正負の体験を重ね、所々で集約し、そして試行して正負を重ね、集約するという繰り返しから、次第に根源性を掴み、洗練された要素と要素関係の縦横配列へ及んで、生きた臨場感に及ぶ概念の体系へと進むように思います。思慮が弱いまま羅列的な要素が置かれ、上下左右の相関が錯綜し、有機的な概念と届かず人口性の力みや粗雑な印象で留まる体系が生まれ、断片的なまま各要素の詳述と分化を進める。

実際の運用から正負の感性を経て自らの強い感性に基づき思慮が深まり、分化を統合する事や統合を分化するという中で、用語の配列にスッキリ感が作られる。成熟度や完成度とはこんな思慮と体験をもって用語の種類が洗練化され生きた現象へと作用する。自己の感性を通さずに頭脳的な整理で留まると、力の弱いエネルギーによる断片化した体系が出現するようにも思います。「世界の根源はなんであるか?」と問いが深まり動静や生滅、時空や利益等という所へ行きつき、根源からの体系として構成される。用語ばかりがやけに踊るような心象で、見ても印象に残らず、用いられる事のない表現が粗雑に並べられる。

成熟度がいまだ不十分で個別的な感覚をただそのまま列挙し集約や統合と試行から正負の体験をもって思慮に及んで、有機的な縦横構造や生命観の伝わる体系へ進む。表現自体に力が起こり外界を動かすエネルギーへ及んで生きた体系と実証される。軋轢や対立を真摯に図り、感性をもって思慮へ進み表現に生命が宿る。

出来た体系などを安易に吸収し使わなければ記憶にも残らず磨かれもせずに、不毛な頭のやけにでかい体形が生まれる。精神性の健康さを失い外界へ違和感を強める。お飾りや盗み体質は、強い責任意識の伴わない利己的欲求過多の歪な表現を多産し「口先だけ」で結果が付かず、安易に断定などを起こしたり「すいません」等として安々と片付ける。これに真面に付き合う人は稀有でしょう。物理依存症で生身の創造力が進まない結果生まれる現象と思われます。根源性の喪失の弊害と浮かび上がります。PDCAサイクルが自然に体内化して頭と体と心を良く回して起こされる表現に生命が生まれる。肥満者の趣味に付き合うことなく、実際の現象は作られる。変な奴が主導してもまともな力や生きた体系などは作られない。

5)根源性の強まりとフローの良質性

法で規定される内容は、外界で起こるごく一部分を対象とした基準を指し、あくまでも外界や自己に起こる現象が分母に、限定の観点が分子に配されるという構造が生まれる。自然現象や社会現象が生じて、その認識を図り、世界観や理論体系、法などの予めの基準から個別現象との対比と過不足や優劣などの測定へ及んで評価感覚が加えられ、当該個別現象への直接的な対応や個別現象の集計からの規則性を洗い出し未来の想定が生まれ、負は快情勢は増進という創造の基調が進められる。

測定の尺度は、多様であり、どんな思想や世界観化などの大枠的な感性と、限定性の高い特定領域の体系や法律の枠組み等が生まれる。現象を特定の法の尺度でばかり、測定して制御を図る事に適正が生まれる場合と、法自体への批判的な意識を備えながら、より良い尺度をもって、個別現象に対面して、性格を浮かべて適当な方法を投じる柔軟な構えが望まれる。

現象も多様な諸条件の相違から、全く同じことが起こる事はなく、それへの尺度も固定的ではなく、動である対象へ真摯に対峙して動を捉え動への反応を作る動的フローの活動性が起こされて特定の静的尺度へ過度な固執をしない柔軟かつ最良の創造へ及ばせる生産性において健康な体質や主体性が浮かべられる。

固定概念を自己の都合の良い用い方に偏って外界への利益を向上させる意識が下がると、フローの活動性が萎んで、最良の策を作るには至らない。

固定概念もいわば一つの道具となり、個別多様な諸条件と現象に対して、適当な道具の開発をもって、測定と制御を図る人間の動源が確認されて、道具を適当に操る事になる。道具という型枠で凝り固まり、現象をそこに嵌めるという制御に流れると、道具の向上が止まり、現象への適当な反応が生まれない。道具依存という思考停止とも言い換えられ、過度な依存で固定化する程に、改良の力が途絶え、適当な反応が作り出されない。

根源的且つ不動性の変わりづらい道具への確信が強まるほどに、二次三次の現象への柔軟さが宇編まれるという創造力の枠組みが作られる。一見すると矛盾するような因果を指すものの、価値の源泉が強まるほどに、二次三次の価値へは柔軟な変容をもって、一次的価値への適応が果たされる。根源性と、時々の変化の構造が確認される。

細分化した感覚が進み、或いは頭脳による大量の固定概念が保有され、「○○だろう」という予見性が高まると共に、一次体験が疎かになる弊害へ目が向けられ、身体的活動の停滞へ及ばぬ実証作用が滞らずに、体と頭の整合とフローが進み、確かな根拠を掴んで、判断や構造が投じられる健康体が確認される。二次情報や陳腐化した概念を定期的に棚卸して、観測作用の高度化に連なる道具の更新が進み、外界と自己との動的調和の良性へ及ぶ。

ハードの性能が進むと共に、ソフトの善し悪しが、ハードからの効用へ連なり、ソフトの程度が下落するとハードは凶器になり、根源性を狂わせる。人間の変わらぬ適正が軸になって、ハードの向上と、用い方の適正が持続する。ハードに振り回されてソフトが萎み、根の痩せた幹へ及ぶ事のない健全性が問われる。

閉鎖性や固定性という面へ緊張を課して、止まらない前進性の創造力を生む環境を整備して、健全性が持続する。物性によって、この緊張環境を回避するような道具の用い方に肥満な精神性が映し出され、負への感度が下がり、悪性が積み重なってどこかで破裂するという大きな被害に及ばせない適正な健康管理が求められる。堂々と、どこへ行っても恥ずかしくない正当なエネルギーの持続的な出現を果たすビジョンが描かれる。ハードの性能を使いこなせるソフトとおいて、適正化する。人間側が弱まりハードに過度な依存を作ると、制御不能の暴走へ及び、正よりも負を招く。盗聴や盗作、監視という事柄は、大きな力へ向ける事が道理であり、非力な方でこれをやるのは根源性を外す。ハードを制御できるだけのソフトの弱い主体性による暴走と特定される。過度な欲望と権限と力を備え、責任の満たないアンバランスな体質と見做される。ここからの負のエネルギーが広がらないように、力の保有と活用を図る主体性への吟味と改良が求められる。形骸化された観念体系で、権力への適正な制御が果たされず、頭と体の分断した性格には健康な感受性や欲望は生まれない。根源価値への認識が強まると、フローの良質性が促進される。