ありがたいお心遣いです。
オバチャンは母の姉で、私と同い年のいとこのお母さんです。
朱理ちゃんのことが心配で心配で、毎日、日に3度くらいは思い出して気をもむのよ。
と言います。
思わず
嘘〜オバチャンそりゃ大袈裟だよ笑笑オバチャン忙しいのにそんなにしょっちゅう思いださないやろ〜〜笑笑
と大笑いしてしまいました。
もし本当ならばオバチャンはとても心が大忙しなはず。しかし、世の中にはそうやって色んな人に心を配って生きる人がいるわけで、心配しているのかもしれません。
いやいや、同い年の娘がいてうちの子諸々不幸だなと思ってたけど、癌はもっと大変やから〜〜
朱理ちゃん明るいからみんなに心配かけまいと平気なフリしているけど、毎日夜も眠れないほど悩んでいるやろ?ツライはずよ。かわいそうに。
と畳み掛けるように話します。
ん?
ん?ん?ん?
オバチャン、私は夜ぐっすり寝てるよ〜〜始めは怖くて思い悩んでたけど、今は治療も終わりが見えて希望もあるから悩んでないよ。身体がキツイ日はあるけれどね。
いやいや、オバチャンにはわかるとよ!ツライし怖くて眠れないよね〜〜今は元気でご飯食べられるんやけん、後で食べられなくなる前に今のうちにしっかりご飯食べて体力つけとかないと!
(え?オバチャン、私は今から悪くなるつもりないんですけど〜〜(^_^;)ま、言葉の綾と言うことにしとこう)
眠れないほどツライに違いないと信じて疑わず、心配しているオバチャン
真実とは違うけれど、そうすることで安心するのでしょう。
私は遠くにいるし、直接会うことは滅多にないので、こうして電話でトンチンカンな会話になるぐらいのものですが、側にいて病気を患う従兄弟やお母さん曰く諸々不幸な従姉妹(癌よりはマシ笑笑)は面倒くさいだろうなと、気の毒になります。
オバチャンは子ども達のことを愛しているのは間違いないのです。
なんなら姪っ子のことも深く愛してくれています。
が、しかし。子ども達を私を、守るべき対象として『不幸』『不自由』というラベリングをして自分なりの満足のいくサポートをして安心したいわけです。
人は自分の価値観から飛び出して相手に寄り添う事が難しいから、仕方ない事かもしれないけど、違う、いうてるやん笑笑と呆れつつ。でも彼女なりの愛を精一杯示してくれていることに愛おしさを感じます。
そういえば別の親戚のオバチャンも私が癌になった時に
朱理ちゃんは幸せ過ぎたから神さまがちょっと意地悪して癌にしたんやろうね。
と言われて愕然としました。
嬉しくないわ〜〜それ笑
どんな神さまやねん。
ここだけ読んだら私がどれだけ嫌われっ子なんだ?と思われても仕方なくないですか??笑笑
彼女は『妬まれるほどの幸せ』
が1番の幸せだと信じているので
神様から妬まれた私、という設定は最高級の褒め言葉?だったようようです。癌で苦しむ姪っ子を慰めるための逆説的褒め言葉。
『幸せ』は他と比較することで感じられると信じているわけです。
誰かと比べないと幸せが認識出来ないのは苦しいだろうなと、私は私の価値観で彼女のことを推察します。
昭和の女達の『他と比較することで幸せを認識する』価値観が様々な場面で令和の価値観とぶつかっていることでしょう。
#昭和の価値観
#令和の価値観
#幸せはどこにある?
#それホントに不幸かな?