手組「ティジクン」は柔術が起源 | 首里少林流円心軸 Syuri Syorin Ryu Karate

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Okinawa Karate(Traditional karate)

柔術は、平安時代(794年 – 1185年)に発祥した日本の相撲組討ちを母体とし、戦国時代(1467年 – 1573年)に体系付けられたものである。

 

奈良時代には既に存在していた武士は、その軍事力を以って急速に力を付け、平氏政権鎌倉時代以降は、実質的に政権を主導する社会を構築した。さらに、幕末まで日本の歴史を牽引する中心的存在であった。近代に入って武士という存在そのものを廃したが、初期の明治政府の構成員は殆どが元武士であった。

 

NHKで放送された番組から抜粋‼

福島県相馬市・南相馬市に伝わる、相馬野馬追(のまおい)の祭礼。
実は平安時代に生まれた、ある武士がその起源に関わっているといわれています。
その武士の名は「平将門(たいらのまさかど)」
桓武天皇(かんむてんのう)の子孫である高望王(たかもちおう)の孫です。
高望王は、中央から東国(とうごく)に国の行政官である国司として派遣され、そのまま土着しました。
孫の将門は地元に根付き、農民たちとともに新たに土地を開墾し、農地を増やします。

 

 「地方で、『自分の身は自分で守る』、そういうふうに一生懸命考えた人が武装する。それで武士になっていった。だから、この考え方に立つ説というのは、武士の本場は地方。もう1つ、朝廷の武官っていう考え方もある。朝廷の貴族の中で、わりと下級な人が武芸を習って、それで身分の高い人に仕える。こっちの考え方は、武士の本場は京都。

ですので武士が起こった時期に柔術も誕生したのがわかります。

 

取手(捕手術)という名称自体の起こりは柔術より古く、室町時代頃から用いられている。

ですから沖縄の手組「ティジクン」も取手(トウイディー)を使います。ですので取手は間違いなく日本本土から伝わったと思います。

『ウィキペディア(Wikipedia)』参照