仙台城跡は、宮城県仙台市青葉区の青葉山にあり、JR仙台駅からバスで行けます。

 バス停から本丸跡までは階段があります。

 伊達政宗公騎馬像前に立って市街を展望することで、雰囲気を味わうことができます。

 行った時期は、定かではありませんが、仙台に出張に行った際に、空き時間を作っていったと記憶しています。

 仙台城は、伊達政宗が築城してから約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。

 二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城であったといいます。

 別名の青葉城の方が、さとう宗幸さんのヒット曲の「青葉城恋唄」があるので、知られているかもしれません。

 初代伊達政宗期に造営された青葉山の本丸、西の丸、二代伊達忠宗期に造営された青葉山山麓の二の丸、三の丸と、それに付随する櫓、門から構成され、広瀬川を城の防衛線としていました。

 残念ながら今では城は消失していますが、城跡一帯は青葉山公園となっており、本丸跡からは仙台市内、太平洋を一望できます。

 将軍家康の警戒を避けるために、あえて天守閣は設けなかったといわれています。

 西の丸の跡地には、現在では宮城縣護國神社があります。

 二の丸の跡地には、現在は東北大学川内キャンパスがあります。

 三の丸の跡地には、現在は仙台市博物館があります。

 

 2011年3月11日の東日本大震災では、石垣と脇櫓の一部が崩壊したそうです。

 その翌年に仕事で仙台出張があり、被災したアスクルの仙台物流センターを見学し、当時の状況をお話し頂いたり、仙台市役所の方に、当時の状況をお話しして頂く機会がありました。

 実際に、被災された方の物流センター内の棚は全壊というお話と、壁のここまで津波があったという跡を見たりして、生々しく感じました。

 また、市役所の方のお話しの中では、被災状況を具体的な数値で示して頂いたり、防災ヘリのからの当時の映像を見せて頂き、あらためて津波の恐ろしさを感じました。

 また、バスで海岸近くをまわってもらったりしました。

 かなり片付けられてはいましたが、まだガレキの山も残っていたりして、心が痛みました。

 

 東日本大震災の当日は、私は、たまたま午後半休を取って、家の近くまでは帰っていましたので、歩いてすぐに家に到着することができました。

 近くのスーパーの5階の文具売り場にいた時に大きな揺れがあり、思わず棚につかまったことを覚えています。

 いそいで家に帰る途中に。小学校があるのですが、小学生たちが、校庭に出てきていました。

 電車などの公共交通機関も全面ストップになりましたので、多くの方々が帰宅難民となったことを、テレビで知りました。

 虫の知らせということではありませんが、たまたま有休消化のために、お昼過ぎには帰途についていたので、無事に帰宅できました。

 週明けの月曜日にも電車は全面開通していなかったので、無理して出社することはなかったのですが、頑張って開通している途中駅まで歩いて行ったので、足の裏の皮が剥がれてしまいました。

 

 たまたま災害の被害を免れて幸せ

 

私のもう一つのブログ「2024年5月22日の生活記録」