五稜郭は、北海道函館市五稜郭町にあり、JR函館本線の函館駅で下車し、路面電車湯の川行きで五稜郭公園前下車、徒歩約10分で行けますが、私はバスツアーで行きました。

 五稜郭という名前がついたように、星形の五角形となっています。

 この上には土塁が造られ、また石垣も積まれ、その周りには水堀があります。

 さらに、この星形の土塁の南西側には、三角形状の土塁があり、その周りもまた水堀となっています。

 五稜郭のような珍しい形は、約500年前の16世紀頃のヨーロッパで考えられ、その後、ヨーロッパの各地に造られた「城塞都市」をヒントにしたものです。

 五稜郭は、南西側が正面側で、一の橋と二の橋という2つの橋を渡って、五稜郭の中に入ります。

 また、この五稜郭の中を通り、北側にある裏門橋を渡り、五稜郭の外へと通じています。

 五稜郭は、空から星形の美しい敷地を見ることができるのですが、脇に五稜郭タワーという見晴らしのよい展望タワーがあり、その全容を見ることができました。

 五稜郭は、箱館奉行所があった所です。

 箱館奉行所庁舎は、1862年に建築工事が開始され、1864年に奉行所庁舎がほぼ完成し、蝦夷地における政治的中心地としての業務が開始されました。

 奉行所では、蝦夷地の統治、開港に伴う諸外国の応接・交渉、海岸防備などの業務を行っていました。

 その後,明治維新により徳川幕府から明治新政府に引き継がれましたが、1868年の箱館戦争時には旧幕府脱走軍の本拠地となりました。

 箱館戦争終結後は、再び明治政府のものとなりましたが、役所として利用されることはなく、1871年開拓使本庁舎を札幌に新築する目的で、奉行所庁舎をはじめ郭内のほとんどの建物が解体されました。

 庁舎解体から140年、綿密な復元検討を重ねて、2010年に箱館奉行所は往時の姿に復元されました。

 2001年と2002年に修理工事が入っていますが、五稜郭の築造当時の建物として唯一現存している建物に、兵糧庫と呼ばれる土蔵があります。

 1987年9月26日~27日に、北海道に行って、洞爺湖遊覧や洞爺湖火山科学館などを見学したほかに、五稜郭タワーにも上りました。

 ですから、五稜郭も、箱館奉行所復元前でしたので見所の建物はなく、公園を歩いているような印象で、五稜郭タワーの展望フロアーから見た星形の五稜郭の記憶しかありません。

 

 函館の高い所と言えば函館山ですね。

 函館山は、函館市街地西端にある山で、展望台のある334mの御殿山をはじめとした13の山々の総称です。

 五稜郭に行った際は、函館山にもロープウェイを使って上りました。

 現在は5代目となっているそうですが、125人乗りの4代目ゴンドラだったと思います。

 曇っていたので、夜景は見れなくてもよいかなと思って行ったのですが、ちょうど山頂に着いた頃から、雲が晴れて日本三大夜景の一つを楽しむ事ができました。

 

 日本三大夜景の一つを楽しんで幸せ

 

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