ある人の言動を見ていて羨ましなと思ったとする。
自分もそうありたいなと思ったとする。
その時自分は全く別の自分を感じている。
「私はそうじゃない」
そうじゃない私が私なのかもしれないのに、
そうじゃないじゃない私に憧れている(笑)
どちらがより私らしい選択なのだろう???
やるならない、
続ける辞める。
そしてそこにある想い。
続けることが正しい事だとか、
辞めることは駄目な事だとか、
いつも自分らしくないといけないという事だとかではなく。
私じゃない存在を観た時に、
私らしいとは何なのだろうかと。
何を基準に私は生きているのだろうかと。
何を想っているのだろうかと。
私はよくものの良し悪しを考える。
ものの良し悪しを考えずに行動が出来る人を羨ましく思う。
ジャッジが無い人。
自分は常にジャッジをしている人。
判断し続けている人。
それも誰かを想って。
これを利用する人、
これに関わる人のことを想ってジャッジし続けている。
不便で無いように。
負担にならないように。
豊かであるように。
そういった想いで日々常々ジャッジしている。
良いとか悪いとか思っている。
ジャッジが無い人は平等かもしれない。
でもジャッジが無いとすべてを同じものとして見てしまう。
すべてを同じものとして見からの優しさがあるかもしれない。
ジャッジをするからこその厳しさもあるかもしれない。
私らしい選択とは何なのか。
他者の生き方ではなく、
私らしい選択とは何なのか。
何が見たいのか。
誰を何を想っているのか。
その先には誰がいてどうあって欲しいという想いがあるのか。
システム化された社会で日々を過ごしていると感じられない。
優秀にシステム化された社会を生きている人程。
おっちょこちょいな方が感じ易いかもしれない。
システム化された外の部分を。
劣った人などいるのだろうか。
それは機械と比べて効率化システム化された中で生きる人には劣った様に見える人はいる。
というか思考でそのシステムにはまっているかどうかくらいではないか。
今いろんな名前を付けて「劣った人」が増えている。
効率化システム化され続ける社会で適応出来ない人。
そもそも人は効率化やシステム化には順応出来ない。
「人」なので。
「心」がある以上、
機械の様に効率化を目的として作られたものと人は違う。
違うのに、
「完璧」ではない自分を「劣っている」と思ってしまう。
最近コンビニのレジの人は暇そうだ。
でも心は忙しい。
システムに追い付く為に。
レジで商品をレジ袋に入れる店員さんの仕事は不要だったのだろうか。
システム化においては不要だ。
ただそのシステム化さえも関する人達が流れや目的を理解していない以上ただ困惑が募るだけだ。
自分はシステム化すればする程その不備を思って腹が立つ(笑)
そこまでやるならここまでやらないと成立していないと思ってしまう。
誰の為の効率化やシステム化なのか。
便利なのは有り難い。
ただそれを更に効率化したり改良するのには人の想いが必要となる。
「より快適な様に」
それを忘れて効率化することだけが目的となってしまってはきっと人は要らなくなる。
人の為の効率化やシステム化なのに最終的に人が必要ではなくなる。
誰の為。
何の為。
その先に誰がいるのか。
見失いたくない。
あなたの心が、
あなたの世界が、
平和で豊かであります様に🍀
しゅん☆