安宅さんの御宅は、とんでもない城ばかりだったぜ!!! | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

昨日の地震で、能登を始め、石川県を中心とした

北陸地方で大きな被害が出ています。

報道などの映像などを見ると、非常に心苦しくなります。

しかも、かなりの数の地震が頻発している様で

かなり心配してしております。

どうか、御無事でありますようにとしか言えないのですが

本当に身に安全を確保して下さい。

どうか、御無事で。

 

 

 

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、更新も真面目にせず、書いたら書いたで

ふざけた様な文面ばかりの我がブログを読んで頂き

誠に有難うございました。

本年も、同様に、ゆるっとやってまいりたいと

考えております。

ほんまは真面目にキチキチ書きたいんですけどね。

如何せん、向き合う時間が減ってしまった訳で…。

 

言い訳はここまでにして、実は、昨年後半は

体調不良やら、仕事で問題を抱えるやらで

どうも『城』に向き合う事ができない状態でしたが

年末こそは、でかけるぞという意気込みで

11月頃から色々と行きたい場所を整理していたのですが

3年前に今治で行われた『日本海賊会議』の中で紹介された

紀伊安宅氏城館をロックオン(死語)

させて頂きました。

まぁ、他の候補地があまり見つけれなかったというのも

あるんですけどね。

 

ここで私事なんですが、最近、2~3週周期で

ヘビーローテーションしてしまう曲があるんです。

11月はLINDBERGの『BELIEVE IN LOVE』。

若かりし頃よく見た『夢で逢えたら』の

オープニングで使われていましたね。

12月初頭はアンルイスの『WOMAN』。

カラオケで少し上の世代の方がよく歌ってました。

そして、最近は、地元のラジオ局の番組を聞いていて

めっちゃ引っかかった、『テルーの唄』。

自分は見た事がない『ゲド戦記』の挿入歌ですが

しかも、手嶌葵による原曲ではなく

Little Gleen Monsterによるもの。

これが頭の中をかけまぐり、しかも車内でも聞きまくり。

勿論、今回の旅のお供でした。

そして、今回のメインである安宅氏城館のある

日置地域の風景に、この曲のイメージとピッタリ

だったんですよね。

あくまでも私の感性ですから、syunpatsuryoku1号のみが

そう思っているだけかもしれませんけどね。

ただ、長閑なイチュエーションで、歌詞に出てくる状況

そして、曲調が見事にあてはまっていて

日頃のストレスをイイ城に出会った事もあり

発散できたのではと思っています。

 

では、今回も僅かな写真と共にチラ見レポを

してまいります。

全く進んでいない通常のレポですが、チラ見レポは

増えていく現況でありまして

今回のレポは何時、書けるかは未知なのですが…。

 

 

 

最初の目的地は、安宅八幡山城です。

国指定史跡になった、安宅氏城館のメインな城(たぶん)

ですが、縄張図を見た時、小さな城だなという印象が

あり、あまり時間かからんだろうと思ってました。

予想を覆す、スゴイ城。

当初の予定をかなり過ぎる程、見所が満載。

何と言っても、土木量の豊富さには驚愕。

岩盤を切り裂く堀切や、かなり高い土塁

断続的に続く横堀などは本当に見応えがありました。

さらに、縄張りがなかなか巧妙。

極めつけは、石積まであるという

1530年代に廃城になったのかというのが

どうしても信じられない城でして

ある意味、僕の城への概念が変化してしまう程

面白すぎた城でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡山城から20~30分ほど歩くと

安宅勝山城の麓に到着。

そこから今回一番の険しい山登りを敢行すると

城域に到達しました。

この城の見所は五連続堀切。

しかもその側壁を石積で固めているという

訳の判らん遺構が残っていました。

また、時代が下った近世城郭などではよく見られる

雁木が見れると言う、中世城郭の概念を覆す

恐ろしい城でした。

また、八幡山城でも見られた塹壕がありますし

その前には二条の竪堀を配すなど

これまた技巧的な城で、大満足でした。

ちなみに、この城を訪れる前に、安宅本城の前を

通過しましたが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

本城、八幡山城、そして勝山城は日置川の

南岸にありますが、その対岸に、あるのが

安宅大野城です。

今迄見て来た、二城に比べると、比高も低く

さらに規模もかなり小さいので

サクッと見る事ができましたが

この城もなかなかのモノ。

塹壕もありますし、堀切も完備。

そして石積も見られます。

少々破壊もあったりしているのが残念ですが

思ったより見応えがありました。

 

 

 

 

 

この日の最後に訪れたのは、安宅中山城

安宅氏城館は国指定史跡になっているのですが

この勝山城もそれに該当します。

ちなみに、近くにある土居城もそれに当てはまり

どちらかには行こうと思いましたが

サクっと行けるこちらに。

ただ、シダが群生していたり、木々が生い茂り

ここまでの城とが違う感が半端なかったですが

この城もコンパクトな割に、連続横堀が横たわったり

ここまでの城で共通する、曲輪の土塁が存在したりと

想像よりは、シッカリとした造りの城でした。

ちなみに、勝山城と大野城はまだ国指定史跡では

ないようですね。

 

 

 

 

 

翌日、宿にした場所からそう遠くない場所にある

手取城からスタート。

紀伊でも最大級の中世城郭といううたい文句に

期待大だったのですが…。

どうも、後世に整備の為に手を加えてしまい過ぎたのか

正直、『城』という雰囲気が失われている部分が

多く、残念ではありました。

しかも、こういう城ならではの、主要部しか

整備されてない事もあり、主郭から遠い箇所は

見えずじまいと、消化不良で終わってしまいました。

 

 

 

 

 

 

土井城も行きたかったが、体力的に…。

でも、高瀬要害山城には絶対行きたかったので

今回の城巡りの最後に訪れました。

この城も、飛び地ではありますが、安宅氏城館の一角

なのですが、縄張図を見ただけで

昨日に見た城とは一線を画す城だと思ってましたが

まったくその通りでした。

その最たる例が、畝状竪堀。

今迄見て来た城の竪堀は横移動を遮る為ですが

この畝状竪堀はそれ以上に、斜面を登る敵兵を

撃ち落とす考えが見られ、勢力の境目の城らしく

実戦的で楽しかったです。

そして、城域の真下を高速のトンネルが貫くという

破壊されてしまう一歩寸前の城である事も

特筆できると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

城巡りはここでおしまい。

ほんまは田辺城なんて思ってましたが…田辺と言えば

合気道の創始者、植芝盛平先生の出身地です。

学生時代に、合気道部に入っておりその名は…

というか、同乗に盛平先生の写真が飾らていました。

そして、この田辺には先生の像が建立されています。

ちなみに有段者ではありますが、今では全く

技の名を覚えてないのが多く、先生の像の技も…。

よく質問されるのが、合気道ってほんまにあんなに

簡単に技、かかるもんなんと言われます。

そしていつも返答は『はい』。

私には無理な話しですが、師範クラスになると

いつも簡単に技を掛けれます。

話しが長くなるので、ここまでにしますが

護身術である合気道は力ではないので…。

 

 

 

 

最後は、御坊駅での撮り鉄だったのですが

目当ての特急が来るのは一本後。

しかもやってきた特急は増結されており

ホームの端から端まで占拠してしまい

撮る事が叶わずでした。

しかし、私鉄の紀州鉄道の車両は撮る事ができて

一安心でした。

 

 

 

 

これにてチラ見レポは終了です。

まだ土佐の城レポも終わっておらず

ここまで何度も城巡りをしているので

何時になったらレポを書けるのか…。