21.11.03 来島城[村上の姓を捨てた来島氏の本拠]その6 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

来島城 レポに第6弾です。

 

 

その5のレポ

 

 

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見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル

現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ

跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 縄張図

 

 

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場所を移動してきて、島の北西側にやってきました。

前回のレポをした際は、ここには来ませんでしたが、以前、グルっぽ(懐かしい)

ツアーで海面下ではありましたが、アレ(達成されてから二ヶ月近く経ってますが)

があったもんで、今回は、こちらにも廻ってきました。

 

 この状態ではアレを見つける事はできませんが…。

 

 

 

岩盤に降りていくと、ありました、ありました。

岩礁ピット が。

しかも、一直線に並んでいますよ。

 

 横一列に、三基並んでいるのが判るでしょうか。

 

 

 

これを縦方向で見れる位置に移動しました。

そうすると、五基並んでいる事が判りました。

奥の二基は少々判り難いかもしれませんが。

ただ、こちらに移動してきて、まだ数分。

早くも、北東のピット群より、見応えがありそうな雰囲気がプンプンです。

この様に並んでいるピット、海に向かって並んでいますよね。

どうやら、これを 縦列岩礁ピット と呼ぶそうです。

 

 これは正直言って、スゴイ!

 

 

 

この画の下にも写りこんでいるピット。

岩盤上に、どれだけのピットがあるのでしょう。

 

 海面からかなり上がっている場所にいます。

 

 

 

やはり、ピット痕には潮が残りますね。

魚は…いなさそうでした。

 

 ここに取り残されたら…。

 

 

 

先程の北側にも、縦列岩礁ピット が見られました。

尚、この様な並んでいるピットが確認されているのは、この来島城の他

甘崎城、能島城、たてば山城(岩城島)、津倉渕城(大島)など、数か所しか

ありません。

そして、全て伊予国内です。

まぁ、岩礁ピット自体も、因島の数例を除けば、残りも伊予国内でしか確認

されていない様です。

 

 能島に上陸した際、潮位の関係でピットを見つける事はできませんでした。

 

 

 

では、穴ぼこ…もとい、岩礁ピット観察を続けてまいります。

でも、城に興味がない、城に興味があっても、専門外だという方にとっては

『穴ぼこ』というのが、的確でしょうな。

 

 こななん見てて、何が楽しいんじゃという意見が聞こえそうですが…。

 

 

 

でも、この『こななん(これ)』見てても楽しんですよ。

琴線に触れまくっているんですよね。

でも、レポの中身としては…。

では、ここで『穴ぼこ』もとい、『岩礁ピット』の画を数枚、どうぞ。

 

 

 

 

 

 白いのは藤壺の残骸でしょうか。

 

 

 

縦列まではいかないまでも、ファイダー内に、数基のピット痕を狙いますが

図柄が、本当に地味ですね。

 

 でもそんな画を喜々として撮っているsyunpatsuryoku1号です。

 

 

 

またまた、海を見てみました。

小さくて判らないかもしれませんが、多くの船が行き交っています。

海上交通の要衝だというのがよく判ります。

大量輸送が可能な『船』。

人手不足で、トラックの運転手を確保が難しくなっている昨今。

鉄道貨物輸送が脚光を浴び始めていますが、船舶の重要性も改めて、注目される

時期が来るかもしれません。

 

 また、城から話題が外れてしまいました。

 

 

 

岩盤から視点を島側に移していますと、少しだけ平らになっている場所がありました。

 

 木陰に隠れている部分です。

 

 

 

ちょっと判り難いので、近づくと、確かに人一人分くらい通れる通路状の

平坦地があります。

これが 海蝕テラス なのかもしれません。

海蝕テラスとは、満潮時の潮位より少し上に形成された平坦地で、船着場や通路

さらには作業場として使われた可能性があるそうです。

船に乗り降りする人が、ここを行き来していたんですね。

ただ、やはり経年劣化からか、能島城のそれは、かなり浸食されていて、保護を

しているそうですね。

 

 歩こうと思っても、これだけ草木が生い茂ると、さすがに無理ですな。

 

 

 

岩礁側に視線を戻します。

その岩礁が海に落ち込む手前にも、岩礁ピット がありました。

 

 チキンですので、あそこまではいけません。

 

 

 

渡船の出港の時間が少しづつ近づいてきました。

殆ど、見尽くした感がありますので、そろそろ、ここを脱出しようと思います。

 

 短い間隔である、縦列岩礁ピット確認後、撤収しようと思ったのですが…。

 

 

 

考えが甘かったようです。

先程は、完全に草木に隠れてしると思っていた、海蝕テラスが目の前に登場

したのです。

まぁ、岩礁ピットに気を取られ過ぎて、気づかなかっただけですが。

 

 こちらの方が、平たくなっているのがよく判るぞ!

 

 

 

茫々の反対側から見ると、かなり浸食が進んでいますね。

それでも、そこが削平されていた事は窺えます。

ただ、海蝕テラスはここまでなんですよね。

どの様なルートで、やってこれていたのでしょうか。

 

 枯れた枝を掻き分けて、撮っています。

 

 

 

どうしても、岩礁ピットに目が行ってしまいますが、海蝕テラスも見る事ができて

本当に良かったです。

 

 こちらはほぼ隠れてしまっていますが…。

 

 

 

そんな海蝕テラス近くにも、小さいですが、傾斜のある岩盤に、岩礁ピット

見られました。

ただ、このピット痕ですが、今迄見たそれとは、少し違う目的で使用されていたのかと

想像してしまいました。

あくまでも想像ですので…。


 小さな穴、三基、確認できると思います。

 

 

 

では、この岩礁から撤収。

最後の縦列岩礁ピットを見て、港に向かいます。

 

 

 

 ここの滞在時間は約10分でしたが、写真、撮りまくりました。

 

 

 

港に向かいながら、波止浜を狙ってみました。

その背後に聳える山は近見山だと思います。

ここには、来島村上氏配下の重見氏の築城した近見山城という城がありました。

四国に渡った場所にも、来島村上氏絡みの、城が点在します。

 

 遺構がイマイチもしくは破壊されている所が多そうですが。

 

 

 

城の最南端には、お宮さんがあります。

どうやら、ここの海岸線にも、ピット痕があったそうですが…。

この近くの休憩場に、縄張図などが貼ってあります。

 

 では、渡船に乗船します。

 

 

 

最後に、来島ではなく、波止浜に戻ってから渡船を撮って、家路につきました。

 

 背後のタンカーの方が目立つ。

 

 

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総括の最初に謝っておかねばならぬ事があります。

何と、縄張図ですが、新しいモノがレポをしている時に、サイト上で発見し

上に載せているものとは、かなり相違がある事が判りました。

曲輪の数は、実際にはかなり多く、場所も違う様です。

主郭周辺もかなり違っているようです。

そりゃ、歩いていて違和感がある訳だわ。

ちなみに、居館跡のある谷には、掘立建物の跡も発掘されているようです。

 

 

来島城。

この城の楽しさを四度目の訪城で、さらに深める事ができました。

何と言っても、今回最大の収穫は、石垣が連なっている部分があったのを

見つける事ができた事。

本編でも書きましたが、以前から紹介を受けており、知ってはいたのですが

実際、見た時は嬉しかったですね。

どうしても、この城の見所は『岩礁ピット』がメインとなるんですけど

連なる石垣も見せ場の一つと感じました。

勿論、岩礁ピットもなかなかでしたね。

特に縦列岩礁ピットは、珍しい遺構という事もレポをしながら判りましたし

海蝕テラスも見る事ができましたしね。

 

 

ただ、この城を歩いていて、豊臣政権時にこの来島城は、来島氏の本拠

だったのかと少し懐疑的になりました。

四国討伐後の来島通総の所領は、風早郡。

来島城はその隣にある越智郡。

その時点で、本拠は変わっていなかったのでしょうか。

さらに小大名の来島氏が、規模の大きい石垣を、積む事ができるのかと。

もしかすると、江戸期に改修が加わったのではと考えてしまいました。

今治を領有していた藤堂高虎がそれではと…。

まぁ本線は来島通総の手によってでしょうが。

 

 

この城へは渡船で渡らなかえれば、ならないのですが、その出発点の波止浜港前に

駐車場があります。

渡船の時刻表は今治市のHPから探して頂ければと思います。

お手洗いも駐車場近くにありますし、来島に渡って東側に休憩場がありますが

そこにもあった様な気がします(違うかもしれまんが)。

探訪時間は、1時間半でした。