21.10.17 松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その14 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

松山城 レポのその14になります。

 

 

その13のレポはこちらです。

 

 

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見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場(本丸など)はパープル

現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ

跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 縄張図

 

 

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今回こそ、松山城レポの最終回です。

騙された方も、もう一度、勇気を振り絞って読んで頂ければ幸いです。

で、いきなりなんですけど、この 石垣 、どこのか判らんアセアセ

恐らくは、ロープウェイ乗り場がある、長者ヶ平付近のものかと推測できますが…。

 

 もしかすると、今回の主役かもしれ…じゃないね。

 

 

 

今回の主役ですが、そう、この城の特徴の一つである、登り石垣 です。

松山城には、二条の登り石垣がありました。

北側の登り石垣と、今回、降りながら見る事ができる、南側の登り石垣です。

その3で紹介しましたが、北側のそれは、残念ながら石垣は撤去され、何となくの

痕跡しか残っていませんが、南側は、修復はされていますが、現存しています。

ちなみに、私、松山城に登る際は、大手道から登り、この登り石垣を見ながら

降っていく事をルーティン(という程でもない)としています。

どうでもイイ情報ですねアセアセ

 

 途中から、登城路と並んで、登り石垣が見えてきます。

 

 

 説明

 

 

 周辺図

 

 

その3のレポ

 

 

 

上の石垣の奥を覗き見してみると、横矢 が掛かっている部分が見られました。

皆、そこまで歩いて見に行っているんでしょうが、シンドイ(というか暑すぎた)ので

やめておきました。

この様に、登り石垣は一直線で登っている訳ではなく、ジグザグをつけながら

繋がっているんです。

 

 汗が滝の様に流れたいたのは事実です。

 

 

 

陰影が酷すぎますが、この様に 入隅 にしている場所も見られます。

 

 『入隅』という単語を久々に使った様な…。

 

 

 

『登り石垣』ですが、城に興味を持ち始めた頃は、彦根、洲本、そしてこの

松山城にしかないと覚えました。

城関係の書籍に書かれていたのでしょうが、いざ巡りで、各城に訪れると

その3城以外にも存在する事を知る事ができました。

『登り石垣』と断定はできないものも含めると、訪れた順、下津井城、鳥取城

高取城、周山城、長岩城、名護屋城 を見てきました。

その他にも、織豊期以降の城郭だと竹田城や最近発見された米子城なども

ありますよね。

中世城郭でも、甲斐熊城、信濃尼巖城など見られるとか。

ただ、同じ『登り石垣』でも横移動を防ぐ以外の概念が違う様な気がします。

例えば、彦根色や長岩城は、竪堀とセットで横移動を防ぐ形にしていますし

高取城や名護屋城は、単独で登り石垣を使っていますし、登り石垣と言えないかも

しれませんが、周山城は対になっている登り石垣の距離が短く、登城路を守る

形になっていました。

一方、この松山城や洲本城は、朝鮮の役に築かれた倭城の様に、麓と主郭を

二本の石垣で繋げて、守るという手法になっています。

両者とも完全な形では残っていませんが、この松山城の南側の登り石垣は

往時を彷彿させている、貴重な遺構と言えるでしょう。

 

 

洲本城レポ

 

 

鳥取城レポ

 

 

彦根城レポ

 

 

周山城レポ

 

 

新田金山城レポ

 

 

長岩城レポ

 

 

 

名護屋城レポ

 

 

 

閑話休題。

改めて、登り石垣を見ていきます。

斜面、それも結構急な傾斜ですし、そこに高い石垣を繋げている訳ですから

石垣の天井面も、一気に落しながら、繋げている箇所も見られます。

 

 手前の木が邪魔ですがショボーン

 

 

 

もう過ごし降ると、一気に天井面を落とした場所が、しのぎ積 になっていました。

この場所には 矢穴 も見られますし、小さくて薄くなっているのでこの画からは

判りませんが、刻印 もあったりします。

 

 刻印を見つけた方は天才…いや、眼が良すぎます。

 

 

 

眼が良すぎない方の為に、刻印密集地帯を載せておきます。

需要があるかは判りませんけどねてへぺろ

 

 『田』の刻印が判るでしょうか。

 

 

 

刻印からさらに降った場所には、またもや 入隅 になっている場所がありました。

ちなみに、登山道から少々離れているのですが、山の中にある城の雰囲気を

この辺りは醸し出しています。

 

 好きでそういう雰囲気の場所を歩いているだけですけどね。

 

 

 

振り返って上を覗いてみます。

この登り石垣は、打込接の石垣 で固められています。

 

 木が邪魔とは言うものの、適度に伐採されて、見易くなっています。

 

 

 

先程、見た入隅の前まで降りてくると、そこは 横矢 が掛かっていました。

 

 画だけ見ると、山中に居るような雰囲気ですが。

 

 

 

場所を移動して、先程の横矢がかかっていた場所を再び狙います。

 

 一応、登山道に戻っています。

 

 

 

いよいよ、登り石垣とはおさらばです。

今回も、貴重な遺構を堪能する事ができました。

 

 では、麓に向かいます。

 

 

 

この城の三之丸、現在、堀之内と呼ばれている場所にやってきました。

以前は、松山市民球場や松山競輪場、四国がんセンターなどがありましたが

移転していき、現在は、中心部は城山公園と呼ばれる場所になり

市民の憩いの場となっています。

この日も晴天という事もあり、多くの方が、散策に来られていました。

そんな城山公園になった三之丸には、虎口が二つありました。

愛媛県庁の傍には、東御門 が鎮座していました。

今は、発掘を基に復元された櫓門の、石垣 があります。

 

 平入虎口であったそうですね。

 

 

 説明

 

 

 

反対側は駐車場と化してしまっているので、どの位の規模だったかは判りませんが

もし道路の幅なら、かなりの大きさだったと言えるでしょう。

 

 ここは流石に無人は無理ですわショボーン

 

 

 

三之丸 に入りました。

この日はキッチンカーが多くみられましたね。

コロナ禍で増えたと思いますが、我が街みたいな田舎には、殆ど見られません。

ただ四国最大の街である松山。

しかも人が集まる場所なので、売り上げもそこそこ上がるんでしょうね(推測)。

 

 コロナ禍で飲食業界はかなり疲弊しましたね。

 

 

 説明

 

 

 古図

 

 

 

三之丸から望む、本丸、二之丸です。

本当に、見事な晴天ですね。

 

 日焼けしまくりましたが。

 

 

 

この堀之内には地方局があるのですが、夕方のニュースで、アングルこそ違えど

松山城の本丸や二之丸、三之丸が写ります。

それが綺麗なんですよね(褒め過ぎ)。

既に築城から400年以上経っている訳ですが、今でも、松山の人にとっては

この松山城はシンボルなんでしょうね。

 

 我が街のシンボルは…某大手製紙会社の煙突?…嫌やなぁ~。

 

 

 

三之丸周辺は、ここ数年間、発掘調査を実施しています。

遺構が全く消滅してしまった、この三之丸の北御門の場所が、ハッキリと判ったり

三之丸御殿の石垣が発見されたりと、かなりの成果を挙げているようです。

残念ながら、埋め戻しており、現状では既に確認できないのですが、城好きとしては

この様なニュースは嬉しい限りです。

ちなみに我が街にある、四国最大規模の長方形墳は、10年以上前に国指定史跡に

指定されましたが、未だ、動きがありません。

 

 石室剥き出しなのは良いが、全く整備される気配なしもやもや

 

 

 

最後に、水堀 と高い 三之丸の土塁 を見て、駐車場に戻ります。

説明にもありますが、戦後、GHQによって埋められそうになった、この水堀。

しかし、市民の反対運動で、現状を維持されたとか。

あまり、この様な運動などは聞いた事がないのですが、上でも述べましたが

松山市民にとって、昔から松山城はシンボル的存在なんですね。

 

 奥の白い建物が松山市役所です。

 

 

 説明

 

 

 古図

 

 

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三ヶ月も続いた超大作(嘘)、松山城レポ、今回で終了です。

お疲れさまでした(左矢印誰に対して)。

今後、松山城をこの様にくまなく見る事はないかもしれないでしょうが、今回は

三之丸以外と、とある部分以外は徹底的に見られたと思っています。

ちなみにレポもその1の辺りにはイキイキと書いていましたが、最後は息絶え絶え

の状態でしたなアセアセ

 

 

でも、やはり松山城は見てて飽きないですね。

二之丸の連続枡形から始まり、本丸侵入後の導線なんて、ため息がつくほどの

技巧っぷり。

搦手も、大手程ないにしろ、かなり複雑ですしね、まさに敵が攻めてきても

難渋しそうな導線なんですよね。

さらには、現存建築物及び再現建築物が多くありますので、妄想ではなく

現物がそこにあるので、妄想より早く、侵入路の危険性がより判り易いんですよね。

さらには『魅せる』という部分も、この城の凄さの一つです。

大天守を中心とした連立天守の建物、得に、北隅櫓と南隅櫓、そして十間廊下が

並ぶ様などを見ると、要塞感を醸し出し、重厚感で魅せてきますし

本丸西側の折れてながら連なる、石垣は、美しさを魅せています。

そして何より、本丸から見る本壇の建物群は、まさに素晴らしいの一言です。

それだけ魅力溢れた松山城。

四国一を通り越して、日本一の名城と言っても過言ではないかもしれません。

 

 

さて、今回は何時もの如く、松山市役所の地下駐車場に車を停めましたが

二之丸の下には無料駐車場があります。

また、ロープウェイ乗り場付近にも、ありますね。

お手洗いは、先程のロープウェイ乗り場や、本丸内にもありました。

探訪時間は、5時間強でした。