21.10.17 松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その8 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

松山城 レポのその8になります。

 

 

その7のレポはこちらです。

 

 

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見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル

現存建築物(移築建築物含む)はピンク、再現建築物(模擬建築物含む)はオレンジ

跡地(櫓跡など)はグリーン、その他(銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 縄張図

 

 

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その8は初っ端から 石樋 の画からスタート。

 

 いきなり地味な画ですが…。

 

 

 

上の石樋は、天神櫓(右・北)と ニノ門南櫓 の間にある ニノ門東塀

下にあります。

尚、ここは単層の櫓の間に塀を用いていますが、この手前には艮門があるのです。

本壇西側に比べると若干、貧弱に見えますが、艮門を超えると十分に防御の態勢を

整えている、これが見えるんですから、ある意味絶望ですよね。。

この塀には狭間こそありませんが、石落し を四つ配置していますし、両櫓で 横矢

を掛けています。

 

 この辺りは人っ子一人いてません。

 

 

 

天神櫓です。

ここは本壇の北西、所謂、鬼門にあたる場所です。

松山藩主となった久松松平氏の遠祖は菅原道真がいるとされています。

その菅原道真を祀るのがこの天神櫓。

従って、道真に鬼門を守ってもらい、城の安寧をと願ったのでしょう。

ちなみに久松氏は、徳川家康の母、於大の方が、夫である松平広忠が亡くなった後に

久松俊勝に再嫁したのですが、その子達が、桶狭間以降に家康に松平姓を許されたのが

久松松平氏の始まりとされています。

その子達の中の松平定勝の嫡男、松平定行が、松山十五万石で入封し、幕末まで

続きます。

ちなみに、中四国で初めて家門筋の大名の入部だったそうで、西国の外様大名の監視の

役目がなされたのではと考えられている様です。

既にで書きましたが、島原の乱後に御用米の蔵が二之丸に置かれた事も、納得です。

 

 彼の五男の松平定房は、今治三万石に封じられています。

 

 

 説明

 

 

 

石垣の境目 が、この塀の南側で見る事ができます。

右(北) 打込接の石垣 ではありますが、左の石垣は隙間も少なく

隙間がほぼない 切込接の石垣 になっています。

反対側は、結構、隙間があり、間詰石 も見られますね。

 

 織豊系、近世城郭で現存している城では、よく見られる光景ですね。

 

 

 

本丸東面の石垣 です。

あまり人も通らず(本丸上には人が写ってしまってるが…)、結構、写真の撮りやすい

場所です。

この石垣も 打込接の石垣 ではありますが、真ん中の部分だけ両端に比べて

へこんでいます。

これも改修の跡かもしれませんが、石垣の勾配も違うのが面白い所です。

従って、横矢が掛かっている様に見えますが、これはそう意図したモノでは

ないでしょう。

 

 この下の道は、車も通れる様になっています(未確認)。

 

 

 

ここにも 石樋 が見られました。

ちなみに、場所は少々違うかもしれませんが、本丸の発掘調査を行った際に

排水路が見つかっています。

 

 天神櫓の東側付近だった様な気が…。

 

 

 

南側に廻りこんできました。

ニノ門南櫓ですが、その下の 切込接の石垣 が整然としています。

やはり大手面は、この様に整えて、威厳を見せつけているのでしょう。

 

 もう打込接とは言えないかもしれません。

 

 

 

本壇の周囲を一周してきました。

いよいよ、人が多いのですが、意を決して、本壇の内部に入ります。

尚、ここからが料金がいります。

 

 入場料は¥520です。

 

 

 

昔はもう少し安かった様な気がしますが、そんな事はどうでも良いです。

とりあえず、人がいない(無理なら少ない)時に写真をバカスカ撮りまくろうと

思って入場します。

まず最初に侵入路の坂を登ります。

目の前には、紫竹門東塀 の裏側が見えます。

白壁に、控柱 がこちらにありますし、狭間 が反対側を向いているので、こちらが

裏だというのが判ります。

大手の道で、反対側が見えてしまうのは、面白いですよね。

ちなみに、上段の建物は右(東)から、一ノ門南櫓小天守南隅櫓 です。

 

 多聞櫓は殆ど見えないので割愛です。

 

 

 

正面の塀でドンツキになるので、右(北)に折れ曲がると、正面上に、大天守 が

鎮座しています。

そして、ここに立つと、一気に隘路になった気分になってしまいます。

しかも、ここは 枡形スペース

一ノ門南櫓、正面の 筋鉄門東塀 、そして小天守に囲まれてしまう形になっています。

本壇、最初の虎口ですので、本当に鉄壁感は半端ありません。

 

 ここも定番の撮影スポットですね。

 

 

 

上の画で、少しチラ見していますが、一ノ門南櫓の隣(北)には、高麗門

一ノ門 が待ち構えています。

枡形虎口 だというのが、この画で判ると同時に、大手門から筒井門まで続けていた

180度回転させる進路が、ここでも造られています。

本当に技巧的としか言いようがありませんね。

ちなみに、一ノ門の頭上は 三ノ門南櫓 が守っています。

 

 建物が密集して、圧迫感があります。

 

 

 

一ノ門を潜ればいいものを、無人の時間帯があった為、撮影タイムが始まりました。

まずは、一、二、三ノ門の南櫓群を。

ついでに、一ノ門東塀 も写ってますけどね。

 

 東の空の雲が消えないなぁ~。

 

 

 

筋鉄門東塀の真下にも、石樋 が見られます。

この城でも、何か所も石樋が見られますが、それだけ『排水』というのが大事だと言う

事を教えてくれます。

 

 ただ、大雨が降った時は、この程度で追いつかない様な気もするけど。

 

 

 

では、一ノ門にスポットを改めて照らしたいと思います。

と言っても、そこまではありませんけどね。

でも、ここ最近建物がない『枡形虎口』しか撮ってきていなかった事もあり

門が実際にある『枡形虎口』を撮るのは、少々勝手が違っていました。

できれば、もう少し下がって『枡形虎口』感を出したかったのですが、背後は

塀でこれ以上下がるのは無理ですし、一ノ門南櫓が、横矢 を掛けており、出隅に

なっている為、これが限界でした。

 

 限界なら限界で楽しむのも城巡りの醍醐味です。

 

 

 説明

 

 

 

それにしても、ここは流石、観光名所の松山城。

人の行き来が激しい。

コロナ禍の中とは言え、やはり患者さんが少ない時期の観光地は人が多かったですね。

そんな人がいなくなったり、建物で隠れたりした、時間を狙って写真を撮るのも

やはり骨が折れます。

慣れたとはいえ、やはり人が立て続けに来ると、後で撮ろうとか考えるもんです。

話しは本題に戻します。

一ノ門をほぼ正面から狙いました。

その背後には 石段 が見られます。

そこが、ニノ門前の 枡形スペース となります。

 

 一ノ門をこう正面から撮ったのは初めてかも。

 

 

 

二ノ門 です。

この門は一ノ門と違って 藥医門 になっています。

そして一ノ門よりも狭い間口で、写っていません(写せてない)が、枡形スペースも狭い為

一ノ門前のそれより、圧迫感があります。

しかも 坂虎口 になるので、門前で渋滞してしまうでしょう。

そして、この門前も、三ノ門南櫓が 横矢 を掛けているんですよね。

尚、今後も枡形虎口続いて行きます。

従って、本壇も二之丸大手虎口同様に、連続枡形 になっているのです。

 

 二之丸のそれより、撮り難いですが…。

 

 

 説明

 

 

 

振り返ると、一ノ門南櫓へ登る 雁木 がありました。

この雁木を伝って、塀の背後へも迎えます。

 

 当たりまえですが、雁木へは立入禁止です。

 

 

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その8まで進みました。

この辺りが折り返し地点だと思うので、まだまだ続きます。