19.12.31 岸岳城[上松浦党最大勢力である波多氏の居城]その9 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

かなりの期間、ブログをサボっておりましたが、いよいよ再開したいと思います。

2019年の年末に行った、肥前、筑後に城巡り、しかも岸岳城の最終回を残したまま、おさぼりに

なってしまいました。

しかもこの城巡り直後からコロナが全世界に広がってしまい、僕自身も外出がままならない状態で

城巡りなども制限しているので、あまりネタがありません。

県外に出るのも2年で3度程度。

それも四国内です。

本州は…我が街の高い場所から望むだけで、もう遠い場所になってしまった印象です。

観光地化した近世城郭以外は、人が殆どいないから大丈夫だろうという気もするのですが、どうも

気持ちが乗っていかないのでが正直なところです。

そのくせ、近所(歩いて数分)の飲み屋さんには、しょっちゅう行っているのですが…。

 

 

 

閑話休題。

という事で、岸岳城 のレポ最終回からrestartしていきます。

まぁ中途半端ではありますが、おつきあい頂ければ幸いです。

ちなみにその8もリンクさせておきます。

 

 

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見所となる遺構 (土塁など)はブルー、名前のある場所 (本丸など)はパープル

現存建築物 (移築建築物含む)はピンク、再現建築物 (模擬建築物含む)はオレンジ

跡地 (櫓跡など)はグリーン、その他 (銅像など)はブラックで表記します。

 

 

 案内図

 

 

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三左衛門殿丸から尾根をさらに進んで行きます。

 

 真下は石垣ではなく、巨石です。

 

 

 

尾根の先端にやってくると、巨岩が登場しました。

城跡に行くと、尾根の先端にある岩は見張り場と呼ばれていますが、ここでは違うモノが看板が

見られます。

 

 左下にその看板があります。

 

 

 

その看板には伝抜け穴 とあります。

ただ、岩の隙間なのですが…。

 

 ここを通り抜ける事は、私の体では無理ですガーン

 

 

 

やはりここは、見張り場だったんでしょうね。

でもここに立つという勇気は…できませんでしたアセアセ

 

 というか、風が強いので、立ったら…飛ばされんわなアセアセ

 

 

 

さて、この土塁 はどこのなんでしょう。

何せ2年前の事なんで…全く覚えていないですわもやもや

 

 まぁ、数日前の事も覚えていないから仕方ないですわね。

 

 

 

山を降り、駐車場へと戻っていきますが、その道の山側には石列 が見られました。

 

 登る前にもここを通ったのですが、真っ暗だったもんで。

 

 

 

石列というより石積 になってきました。

 

 という事はこの内部は…。

 

 

 

削平地 になっています。

木々が鬱蒼と生えていますが、恐らく、ここに居館があったのではないでしょうか。

ちなみに、ここは茶園ノ平 と呼ばれているそうです。

 

 茶畑って傾斜地にある印象が強いが…。

 

 

 

 まぁ、そういうツッコミは無視という事で。

 

 

 

駐車場に戻ると、遠くの山に目を奪われました。

 

 次の目的地はこの山か?

 

 

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中世城郭を近世城郭へと変貌させてきた城を数々見てきていますが、この城も該当しています。

歩きはじめは、中世城郭のそれとおい印象でしたが、二の堀切で登場した、両岸、石垣には正直

驚きました。

ここから主郭方向は、『石』が存在感を示し、破城の痕跡もかなり見られましたが、まさに近世城郭へ

変化した城という趣でした。

ただ、近くに街道があったのかもしれませんが、こんな山中の城を石垣で固めてしまうのでは

正直、違和感がありました。

ただ、その違和感を裏返せば、それだけ難治の地だったのではないでしょうか。

その考えは、次の城でもそう感じました。

 

 

駐車場は二か所ありました。

地図上の法安寺奥の院辺りだったと思います。

お手洗いはありませんでした。

滞在時間は3時間強でした。