躑躅ヶ崎館 レポ第5弾です。
その4はからリンクしています。
縄張図
現存物 (移築含む)はブルー、再現物 (模擬含む)はパープル、跡地 (櫓跡など)はグリーン
そして見所となる遺構 (土塁や曲輪など)はピンクで表記します。
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さぁ、この躑躅ヶ崎館で一番楽しみにしていた場所にやってきました。
西曲輪の北虎口 です。
その手前には横堀を渡す土橋 が存在します。
その風情が、The土橋という雰囲気です。
奥にあるのが虎口です。
光る土橋
土橋のサイドには当たり前(というフレーズが多いような…)ですが、横堀 があります。
こちら東で。
こちらが西です。
さぁいよいよ西曲輪北虎口に近づいてきました…ってあまり場所移動してないけど
で、見て判る通り、この虎口は枡形虎口 、しかも両袖枡形虎口 なんです
枡形虎口内が丸見えというのも斬新
皆さんのご要望にお応えする形で(嘘)でさらに近づいてみましたよ
どれかにまとめても良かったくらいの同じような写真
説明
説明
説明
この西曲輪の南虎口は直線的な導線でしたが、こちら北虎口は、屈曲させています。
これが武田の両袖枡形の最終形です。
お判り頂けるでしょうか
ここにも石垣 が見られます。
ただ残念ながら、武田氏滅亡後に組まれた石垣の模様。
説明が被りまくり
北門 跡です。
南虎口と同じで最初の門があった場所の石垣は低い。
この上には塀のようなモノがあったのでしょうね。
新府廃城後、そして甲府築城までの間、甲斐の政庁が躑躅ヶ崎に戻ってきます。
やはり古府中というのが、甲斐を治めるには持って来いの場所だったという事なんでしょうね。
またもや陰が写っとる
両袖枡形の名前の通り、枡形の両側には高い土塁 があります。
これも南虎口と同様です。
こちらは西で。
東側がこちら。
南の門 跡にも石垣 があります。
こちらは北側と違い高いですな。
逆光に悩まされてますなぁ~
北曲輪 に少しだけ入りました。
南虎口から北曲輪には入れない形だったのですが、こちらは全然問題なしの状況です。
ブルーシートがある所は発掘調査してるのかな
南虎口からも見れましたが、この北曲輪西側も土塁 が存在しています。
一部しか見てませんが…。
ここにもこの躑躅ヶ崎館の立地条件が判るような形になっています。
北曲輪が北虎口より低くなっています。
という事で…。
石段 も存在していました。
この辺りも発掘されたんでしょうね。
枡形虎口の土塁の外側にも石垣 が見られました。
かなり石が見られるなぁ~。
西曲輪の東には本曲輪があるのですが、その北西隅の基底部に石垣 が見られます。
堀底に近くです。
そう、ここ本曲輪の北西隅が天守 跡になるのです。
この天守台には石が散見されます。
総石垣だったのかもしれませんね。
かなりの高さを誇ります。
この前には横堀 が見られます。
こちらの絵の方が高さを感じますね。
天守台の上の方にも石垣 が見られます。
ここは立入禁止区域なのですが…あの石垣は何なんでしょうか
何なんだろう
西曲輪と本曲輪の間の横堀 。
ここの横堀もかなり深いですね。
土塁に乗ると余計にそう感じます。
北曲輪から見た、南門跡。
復元感はありますが、なかなかのものです。
またもや陰が…。
最後に土塁に乗って見る、北虎口。
やっぱし枡形虎口最高
しかも両袖枡形だからね
その5はここまで。
その6に続きますm(_ _)m