16.12.31 躑躅ヶ崎館[甲斐武田氏の居城]@山梨県甲府市 その4 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

躑躅ヶ崎館 レポ第4弾です。

その3押左矢印からリンクしています。

 

 

 

 縄張図

 

 

 

現存物 (移築含む)はブルー、再現物 (模擬含む)はパープル、跡地 (櫓跡など)はグリーン

そして見所となる遺構 (土塁や曲輪など)はピンクで表記します。

 

 

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大手虎口を出ますと、大手石塁 が再現されています。

武田氏時代には、丸馬出があったようですが、武田滅亡後にこのような状態になったとか。

ちなみに、これは角馬出なんだろうか?

 

 前回訪れた際は、あまり興味を示せなかったアセアセ

 

 

 説明

 

 

 

この周辺は、武田滅亡後の改修で増築された曲輪で、土塁 や。

 

 その他には…。

 

 

 

横堀水堀 )が見られます。

 

 めっちゃ浅いけど…。

 

 

 

水堀を渡す土橋 も見られます。

 

 復元感は半端ないですがアセアセ

 

 

 

ちなみに、この土橋は城外側の方が高いので、内部には石段 がついています。

 

 こちらも復元感…アセアセ

 

 

 説明

 

 

 

上の写真では判り難いかもしれませんが、石塁の外には低い石塁 があるのですが、この石塁と大手石塁の

間には門があったという事が判っています。

 

 という事は…。

 

 

 

導線を複雑していた訳ですね。

さらに大手石塁によって、本曲輪を直視できない形にしていた訳ですね。

 

 城内の方が低いのでこの大手石塁は大事ですね。

 

 

 

周辺にもこの曲輪の土塁横堀 の痕跡が見られましたが、私有地だったり、超絶ヤブだったりと…。

 

 

 

 ちょっとした山に入ったような絵ですねアセアセ

 

 

 

城の北側にやってきました。

あの山が要害山城でしょうか?

それとも熊城でしょうか?

どちらにしろ、絶対行きたい城の一つです。

 

 麓の積翠寺は以前、行きました。

 

 

 

城の北側にも曲輪があったそうですが…今では痕跡がないなぁ~。

ちなみに曲輪の名は無名曲輪 です。

 

 無名滝はよく見ますが…。

 

 

 

この周辺には石垣が見られるのですが、畑の跡なんでしょうね。

 

 でも思わず撮ってしまう、悲しい性…ガーン

 

 

 

本曲輪と無名曲輪の間にも横堀 が見られます。

 

 往時はもっと深かった事でしょう。

 

 

 

ここにも石垣 が見られました。

恐らくここが稲荷曲輪 だと思います。

 

 確認はしていませんがアセアセ

 

 

 

その4はここまで。

その5に続きますm(_ _)m