16.12.31 新府城[武田勝頼が最後の拠り所とした城]@山梨県韮崎市 その7 | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

新府城 レポ第7弾です。

その6押左矢印からリンクしています。

 

 

 

 縄張図

 

 

 

現存物 (移築含む)はブルー、再現物 (模擬含む)はパープル、跡地 (櫓跡など)はグリーン

そして見所となる遺構 (土塁や曲輪など)はピンクで表記します。

 

 

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本丸虎口 にやってまいりました。

ここには蔀の構 と呼ばれる土塁が立ちはだかっていました。

 

 ただ…。

 

 

 

イメージが違うんだよなぁ~。

蔀が数少ないというのもあるんですが、高松城桜御門跡押の蔀石垣や、長崎鼻砲台押の蔀土塁の

ように、あまり長くはない一文字のモノを想像していましたが、ここは土塁がかなりの長さなんですよね。

 

 蔀より切株が目立つ絵ですがアセアセ

 

 

 

ただ、曲輪内部が見れないというので蔀と言われても仕方ないですけどね。

 

 少し不満は残りましたが…って不満って言い方は変ですがもやもや

 

 

 

最初にも書きましたが、ここは本丸虎口なのですが、かなり細長い枡形虎口 になっています。

 

 ただ車道が通っているので旧状か否かは…。

 

 

 

新府城の本丸 へとやってきました。

かなり巨大な曲輪で、居住空間もあったのではと思うほどです。

 

 まぁ、あったんでしょうけど。

 

 

 

そして、この本丸にもこの城の特徴ともいえる、土塁 が囲っていました。

 

 土塁萌えの方にはかなりお勧めです。

 

 

 

土塁上から見た本丸です。

ほんまに広いわ。

 

 方形館がスッポリ入りそうな曲輪です。

 

 

 

富士山です。

黒い富士山も新鮮ですね。

 

 勝頼もここから富士山を見たのでしょうか。

 

 

 

先程は足を踏み入れませんでしたが、本丸の南にある曲輪 です。

ここにも土塁 が見られましたよ。

 

 ここは完全にスルーしとったわアセアセ

 

 

 

蔀の構を入れつつ、本丸枡形虎口を押さえました。

 

 木々が案外邪魔なんだなぁ~もやもや

 

 

 

昨年、見入ってしまった大河ドラマ真田丸。

その舞台はここから始まったんですよね。

 

 

 

 イメージ一新の武田勝頼には驚きました。

 

 

 

武田勝頼公霊社というものがありました。

城でこのようなモノを撮る事が少ないのですが、やはり『武田』だけに撮ってしまいます。

 

 隠れ『武田』ファンです…ってほんまかいなニヤリ

 

 

 説明

 

 

 

その隣には長篠で散った名将達の霊位がありました。

馬場信房、山県昌景、内藤昌豊を始め、勝頼の叔父の武田信実、真田昌幸の兄である、真田信綱

真田昌輝などの名が見られます。

 

 

 

 三枝昌貞の名前がないのが少し寂しい…。

 

 

 

この霊位の背後にも土塁 が見られました。

しかも、この土塁はかなりの高さを誇っていました。

 

 

 

 かなりの高さです。

 

 

 

ここから北方向を睨みます。

甲州崩れの際は織田軍はこちらから迫ってきたでしょうし、天正壬午の乱の際には、徳川と対峙する

北条勢はこの城の北にある若神子城を拠点としています。

 

 勝頼も家康もどのような心境だったんでしょう。

 

 

 

大きな石碑がありました。

武田氏の事を書いていましたが…写真だと判らんガーン

 

 読めんわガーン

 

 

 

本丸の標柱なんかも撮っていました。

 

 それは…。

 

 

 

サイドのこちらを撮りたかったから。

そう、普請奉行の名前を撮りたかったのです。

 

 真田安房守昌幸の名前を!

 

 

 

その1の日本城郭大系の説明でも書きましたが、武田勝頼の居城だった期間は僅か68日間。

勝頼もこんなに早く、この城を棄てるとは思ってなかったと思います。

 

 築城時間の方が長かった訳で…。

 

 

 

さてさて、この城のレポも終盤です。

ここは本丸の東下にある稲荷曲輪 です。

僕が本丸に入った頃には、地元の方や観光客などが数人いらっしゃいました。

この稲荷曲輪にも親子連れがいらっしゃったので、少し遠慮気味に写真を撮っていました。

 

 草茫々ですが削平されています。

 

 

 なんでこんな写真になったんだろう?

 

 

 

この城の西には旧甲州街道が走っています。

 

 街道に写る我が姿アセアセ

 

 

 

この旧甲州街道の西には、新府城の堀であった首洗池堰堤 があります…って既にここは

レポ済ですねアセアセ

 

 

 

 これにて新府城レポ終了です。

 

 

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以前から行きたかった新府城。

今回、甲斐に行けるなら絶対行きたいと思っていたので、念願が叶い本当に良かったです。

インパクトがあったのがやはり出構。

一応、調べてあったのですが、やはり現地で見るとなかなか面白い遺構でしたね。

あれで、土塁が囲ってあったらもっと戦闘力があったのではと思ってしまいました。

それでも足を鈍らせる敵を、ここから射撃を行うと、一網打尽だったでしょうね。

さらに、武田流の丸馬出や両袖枡形、そして本丸の蔀など、なかなか魅力的な遺構が多く、本当に

来て良かったなぁ~と思いました。

でも、やはり未完の城という雰囲気は各所で見られました。

もう少し削平して曲輪にしたかったであろう緩斜面なんかが多かったですしね。

武田帝国の崩壊は本当にいきなりやってきたんでしょうね。

武田勝頼の無念も感じさせてくれる、新府城でした。

 

 

駐車場は城の北東押にあります。

お手洗いは本丸にあったのですが、使用禁止となっており、結局なかったような気がします。

探訪時間は約3時間でした。

 

 

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新府城を見終えた後、僕は獅子吼城 に向かいました。

かなりの山間部に入っていきましたが、何とか現地に到着。

いざ、城へと思ったら…現地案内で途中で立入禁止区域があるという事で、こちらから登れないガーン

別の場所から登れるようですが、ほぼ山を直登しなければなさそう。

という事は時間がかかるという事で断念しましたえーん

一応、その写真を貼っておきますので、もしこの城に登ろうと思ってらっしゃる方がいらしましたら

ご参考にして頂ければと思います。

あぁ~自治体の教育委員会に確認しとけばよかったガーン

 

 根小屋神社の駐車場には猿がいました。

 

 

 

寝小屋神社押の場所だけリンクさせておきます。