吉川元春館から見えた史跡、松本屋敷にもついでに寄ってきました。
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※現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)は紫、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)はピンクの其々太字にしています。
北広島町の史跡の説明によりますと、天正8年(1580)頃に、吉川元春の妻が住んでいたとされています。
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車を停める場所がなかったので、そそくさと廻りました。この松本屋敷も石垣が組まれています。勿論、吉川元春館同様の石組です。
遠目では前面のみがその技法と感じました。
恐らく間違いなと思います。
石垣のズームアップをしてみましたが…吉川元春館ほど明瞭に竪石が見られませんでした。ただ、右側に見える竪石など、ところどころは確認できました。
人の気配はありませんでしたが、あまり長居は不可能なので撤収です。
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ついでによった松本屋敷。普通なら田んぼにある石垣という風にしかとらえられないかもしれませんが、明らかにそれらとは異質です。
吉川元春の嫁とりには色々と逸話があるようです。詳しくは調べて頂ければと思いますが、器量はあまりよくなかったそうです。しかし元春は側室を持たず、その妻との間に四男二女を授かったそうです。その中に、関ヶ原で内応した吉川広家がいます。元春夫婦が広家の事を諫める手紙が残っているそうですね。素晴らしい母親だったのでしょう。
車は吉川元春館にあった、戦国の庭歴史館に置いて、歩くことをお勧めします。歩いて数分の場所に松本屋敷 があります。お手洗いは駐車場のお手洗いをお勧めします。探訪時間は10分程度でした。
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これにて、芸北の城巡りレポ終了です。感想を言いますと、なかなか熱い城が多かったという事です。まず向かった五龍城 は、連郭式で徐々に登っていく訳ですが、エリアが判れており、それを高い切岸や堀切で隔てており、なかなか考えられてていましたし、なんといっても石積が各所に残り、非常に印象に残りました。吉田郡山城 はとにかくデカイ そこまでしなくてもという感じで歩いていましたが、てっきり土の城と思ってましたが、石垣の痕跡も見れて、イメージを変える事ができました。特徴的な石垣があった吉川元春館 と松本屋敷 。特に前者の石垣は非常に豪壮でしたね。吉川元春の威勢を感じずにはいられませんでした。
さぁ~て、次回のレポから一旦城を離れます。毎年恒例の季節外れの納涼祭を催します。でも、途中で祭りレポが入り可能性もありますが、ご了承下さい。また、新エディタで書く可能性もあるので、少々見難い部分が出てくるかもしれませんが、それも同時にご了承ください。