吉川元春館レポ第2弾です。その1 はからリンクしています。
※現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)は紫、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)はピンクの其々太字にしています。
-------------------------------------------------------------------
虎口を入ると、主殿舎跡が北側にあります。その掘立柱の跡は再現さえていました。ちなみに主殿舎なので、他より少しだけ高く、それを石積で補強していました。その石積が開いている場所がありますが、そこに門があったようです。
吉川元春もここに住んでいたんでしょうか。
説明
復元感は丸出しですが…。
主殿舎の東面には石塁が頭を出していました。ここに塀があったのかもしれませんね。
見えない部分があの特徴のある石垣です。
後ほど、足を延ばしましたが、吉川元春の妻が住んでいた松本屋敷が見えました。
ここにもあの技法の石垣があるようです。
井戸跡です。ここまで五龍城、吉田郡山城と訪れましたが、いずこも井戸がありました。しかも曲輪の名にもなるほどでしたからね。
石組の井戸ですね。
こちら排水路ですね。あまり表に出る事がない重要な遺構ですよ。
排水の重要性は今でも変わりないですよね。
この館の見所の一つである庭園跡です。あまりこ庭園の美しさというのを判りませんが(というか興味ありませんが)、猛将で名を馳せた吉川元春にはそれが判っていた訳ですね。
修復されているにしろ、見事に残ってましたね。
説明
こじんまりとしている小屋だったようです。
馬小屋そこそこ大きいようです。
建物跡ではないですが、お便所の跡です。雪隠と呼ぶ方が戦国期っぽいような気もしますが。
かなり生々しい感じをうけました。
説明も生々しい
付属屋跡です。やはり毛利氏で重きをなしていた吉川元春の隠居所だけに、色んな建物があったんですね。
付属って何があったんでしょうかね
台所は再現されていました。このような建物なんかには興味のないsyunpatsuryoku1号でありますが、今回もあまり興味津々ではなく、他の観光客の方がジックリ内部も見ていたのですが、僕は早々に屋外に出ていました
このように再現されるのはイイ事ですよね。
説明
この台所の背後には、土塁に突っ込む暗渠が見られます。庭園から続いている排水路からの流れが暗渠を通じて、最終的に掘に流れる形になっていました。
水がかなり流れていますが…。
暗渠前でその水が消えてしまっていました。
説明
やはりこの石塁(石垣)は豪壮でした。
最後に石切り場の残念石を見て、車を動かしました。そしてすぐ傍へ。
ここにも残念石があるとは…。
-------------------------------------------------------------------
この吉川元春館の存在を知ったのは、100名城巡りで岩国城を訪れた際に、知らない方からこの館の石組が他とは違うのを聞いた2009年です。どのように違うかは、色んな方々のHPを拝見していたので知って今回訪れましたが、実際見てみると、やはりなかなか面白い石組でしたね。竪石を使用するというのは、この石組集団にとっては、これがベストだと思って組んでいたんでしょうね。ただ、この地域のみという事で、或る意味、門外不出感があるのがイイですね。それにしても隠居所ではありますがかなりデカイ、この吉川元春館。毛利元就の次男として、数々の戦いに出陣しているこの猛将の隠居所だと思うと、なかなか感じ入るところがありました。
車は戦国の庭歴史館の駐車場 の停めました。お手洗いは駐車場にもあったように思いますが、僕は歴史館でお借りしました。探訪時間は30分程度でした。