長篠城レポ第2弾です。その1
はからリンクしています。
※現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)はピンク、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)は紫の其々太字にしています。
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さて、この城は飯田線によって分断されています。これが道路なら、けしからんと怒っているのですが線路なので、僕自身は案外寛容な目で見る事ができます。
<線路だけ撮る予定でしたが…>
暫くすると、踏切が鳴る音が聞こえてきました。これは恐らく撮り鉄Timeになるハズだ かなり遠くで鳴っていたので、少し不安になりましたが、やってきました、やってきました
<城郭での撮り鉄は須崎台場以来、2度目>
さぁ~て話しを戻りましょう。武田勝頼が、本陣を構えた場所が本丸から見られます。
<なかなか落ちぬ長篠城を勝頼はどのように見ていたのでしょう>
本丸土塁上から見た横堀です。圧倒的な高い土塁に深い空堀。武田、徳川の緩衝地点ですから、改修はかなりの回数行われていたと思います。
<本当にこれは凄いんですが…>
この後、我々は史跡保存館に入りましたが…写真が撮れない事もあり、何時ものように自分自身はあまり盛り上がらず その外にある、山家三方衆の説明版も…。
<カレンダーの裏に書くって…酷くないか>
<小さすぎて判らんわ>
<時間があれば…>
我々はその後、設楽原歴史資料館に行き、古宮城の縄張図が載った手拭いを購入し、行程終了。そこから、名古屋駅まで送って頂きましたが、大混雑の為、お別れの挨拶もほどほどに解散いたしました。
<最後の最後で人が入る…>
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長篠城。武田と徳川の勢力緩衝地であったとはいえ、とある一地方の城郭。それが、後世まで語り継がれる長篠の戦いの引き金となった事で、全国的にも有名な城になった訳ですが、遺構が本丸の土塁やその下にある横堀や二の丸などの曲輪自体が残るのみと非常に残念な状態でした。その一因はやはり飯田線が貫いている事が挙げられるでしょう。ただ僕自身は、撮り鉄できた事で、その印象が薄くなっちゃいましたが どちらにしろ、城の見所は少ない反面、歴史を体感する事ができる城だと思います。
駐車場 には20~30台ほど停めれました。お手洗いは保存館にあったようななかったような…。探訪時間は保存館を入れても30分あらばOKです。