きてくださってありがとうございます。
先日の、祖母きよこの記事を読んでくださったり、コメントやメッセージをくださったかた、本当にありがとうございました。
しばらく更新できず、モヤモヤさせてしまった方がいたら申し訳ないです。(いやそんな気にしてへんで、という自意識過剰パターンかもしれませんが、途中まで書いてその後を書かないなんてすごく無責任なことをしてしまったと)
実は祖母は、今日の早朝まで生きておりまして。
何度も「今夜が危ない」「もういつ心臓が止まってもおかしくない」を繰り返し、母はほぼ付きっ切りで、姉と私も毎日病院にいっていたんですが
おととい「もう点滴が入らないです。どうしても入れてほしいと希望されるなら鎖骨や太ももなど入れられるところを探しますが、負担がかかるし、入れても回復することはないです。どうしますか?」と言われ。
母が、もういいです、苦しくないようにだけお願いします、と言ったときには大泣きして、もしかしたら奇跡的に助かることがあったかもしれないとか、母がこの決断にずっと悩まされるんじゃないかとか思ったんですが
最後の点滴にいく前、今朝の5時42分、帰らぬ人となりました。
昨日の夜は安定していたので全員家に帰って寝ていたんですが、今朝の4時ごろ病院から「脈拍が弱く、心拍も落ちている」と電話があり
急いで病院に駆け付けると
まだ息があって。
看護師さんが、「間に合わないと思いました。ほんとに強いですね。待ってくださってたんですね。」と。
そこからは穏やかに、脈拍や心拍が徐々に徐々に落ちていくのを見ながら、3人で話しかけたり、思い出話をしました。
とんでもない食べ物のことは今日はおいといて
コロッケがすごくおいしかったこと、ケンタッキーの翌日のおかゆ(自称中華がゆ)が好きだったこと、おいなりさん、揚げ菓子がめっちゃおいしかったこと。
きよこの一人娘の母は、子育て一緒にしてくれてありがとうと。
最期に「野球みいや」とか「うなぎ食べや」「てりやきバーガー食べや」とか「大好きやで」とか言える限りのことを伝え、家族が見守るなか安らかに息を引き取りました。
6日間何度も覚悟して泣いたのですごく冷静で、看護師さんがモニターのすべての数値が完全にゼロになったのに気づいて部屋に入ってきたとき、「あ、心電図はずれちゃいましたねー」と言って直そうとしてくださったほど。
この2年、一度も声を発することなく、目も合わず意思の疎通もできず、老衰ではなく誤嚥性肺炎で(何回目かの)ずっとしんどいなか頑張ってましたが、これで楽になれたんだなと思うと、さみしいけれども良かったという気持ちが大きいです。母に対しても。
身内の最期に立ち会えない方、突然亡くなられる方もたくさんいらっしゃるのに、こんな話を書くのはどうかと、思い出させてしまったり苦しめてしまうんじゃないかとか悩んだのですが、ずっとおばあちゃんの話を書いてきたので最期まで書かせて頂きました。(もしもこの話で嫌な気持ちになった方がいらっしゃったら本当に本当に申し訳ないです)
これまで何度も書いていますが、赤の他人のおばあさんの話にも関わらず、いつも身内のように気にかけてくださり、優しい言葉を頂いて、本当にありがとうございました。(昔同じマンションに住んでいたちはるちゃんまで、ありがとうございます!)
家族で思い出話をしていて
きよこが買ったばかりの高いダイニングテーブル全体をまな板にして野菜を切って傷だらけにしていた話や、初の海外旅行で寝ていて機内食のアイスクリームを置いてもらえなかったとき、立ち上がり大きい声で「私のアイス!!!」と叫んだ話など、色々書いてない話があったなあと。
もしかしたらこの先も、ひょっこりときよこが登場するかもしれません。
その時はまた、よろしくお願い致します。
明日はお棺に、大好きだった食べものをたくさんいれようと思います。
(姉「うなぎ。」山本「うなぎはいれよう。」母「うなぎなんていれていいん?」姉「なんであかんの?」母「だってなんか・・・うなぎなんて焼いたら、お汁が出そうで迷惑じゃない?」山本「そんな温める程度の焼きじゃないやろ!!笑」)
本当にありがとうございました。
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