きてくださって本当にありがとうございます!!今日寒いですね。寒いってほどじゃないですけど。
<初めて来てくださった方へ>
初めまして^^
このブログは、どこにでもある材料で、できるだけ安く、誰にでもできる料理を載せていきたいので、
大さじ1杯の生クリーム
卵黄5個分
ブーケガルニ
なんかは使いません。
おうちカフェのカテゴリにいながらにして
「おじや」「菜っ葉のたいたん」ぐらいの勢いの料理を載せることもあります。かたじけない。
また、下のほうには料理と全く関係のないただの個人的な話をグダグダと書いてますが
(※今回は特にグダグダと)
暇でしょうがないときにでも読んで頂けたら本望です。
<常連さんの方へ>
ほんまにいつもありがとうございます。今日も温かい目で見守ってください。
どうぞゆっくりしていってください。軽い気持ちで。足をくずして。こら、ゴボウで遊ばない。
もう使いました。昨日の陶芸のお皿たち。お皿ら。(「お皿ら」、って、10回言ってみて。)
「平皿は飾っていても意味がない。レタスを乗せるためにあるのだよ。」と、俵万智も言っているように(こんなセンスない短歌作るか。語尾の「よ」全然いらんやん。そのおかげで字あまりやん。)
今日のメインは、正直、とろろです。
とろろ大好きなんですよ!!!とろろ。とろろがあればおかずはいりません。
おかずはとろろ。とろろがおかずでおかずがとろろで。俺がお前でお前が俺で。
でもこの平皿に何か盛りたくて。
盛りたくて切なくて苦しくて胸が張り裂けそうで。実際ちょっと張り裂けて。ちょっとだけやけどな。
鶏肉ときのこのバター醤油を作りました。
美味しい!!!
バターと焦げた醤油の風味。白いご飯によく合います。(とろろミスチョイス)
●材料●
・鶏もも肉(クックドゥードゥルドゥー)・・・・・・・・1枚
A塩、こしょう・・・・・少々
A酒・・・・・少々
・しめじ・・・・・・・8本ぐらい(←本数で書かれてもな)
・バター・・・・・・大さじ1もないぐらい
・醤油・・・・・・小さじ2ぐらい
・みりん・・・・・・・小さじ1ぐらい
・みりん・・・・・・・小さじ1ぐらい
・みりん・・・・・・・小さじ1ぐらい
・みりん・・・・・・・小さじ1ぐらい
・みりん・・・・・・・小さじ1ぐらい
・みりんに対するしつこさ・・・・・・・4カップ強
●作り方●
近所のスーパーに鶏肉を買いにいくためだけに化粧をするという行為の面倒くささに女であることを少しだけ嘆く。
眉毛だけさっとかいて出て行く。
一口大に切り、Aで下味をつける。(展開早っ)
フライパンに油(分量外)をしき、鶏肉を皮目を下にして入れる。
こんがりしたら、裏返して弱火にし、蓋をして中まで火を通す。端っこにしめじを入れ、炒める。
クッキングペーパーで余分な油をふき取り、バターを溶かし、醤油とみりんを入れ、絡める。
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<三段階の法則 :前編>(暇つぶしにでも読んでください。)
ほんまにまたどうでもいい話(いい話でもなければ面白い話でもない)です。ごめんなさい。
前のかぼちゃプリンの時に少し触れた、
「最初はかぼちゃの粒だらけだった家庭のプリンを、どんどんパティシエたちがなめらかにしていって、さらに美味しくしようと開発していくと、「まるでかぼちゃをそのまま食べているみたい」になっていく。」
て話なんですけど、
世の中は3段階の法則が成り立っていると。
3の段階は1の段階に限りなく近い。ということです。
音楽をやってる友達が、
力のある音、音楽を作ろうと思ったら
最初は無音から単音、次に和音、3和音、4和音・・・・・てなって、
どんどん増やしたら、最終的に「ノイズ」っていう、もう色んな音混じってでかくて何かわからん「音」みたいになんねんけど、
もっと音を重ねてでかくしていったら、その次の段階が、無音やねんな。実際無音が一番力があるって気付いた。
と言っておりました。
お洒落にしても、
全く個性のないただの無地の服から、お洒落して、1個アクセサリーをつけてみる。
そのうちに、ピアス、腕輪(ブレスレットて言え)、指輪・・・・
どんどん増えて、どんどん個性的になって、柄ものにさらにでっかいイヤリングに、鼻ピアスに口ピアスに髪の毛スーパーサイヤジンなって、ものっすごい理解不能のおしゃれになって・・・・
そして行き着く先はシンプル。白いTシャツにジーパンで、それが一番お洒落。
かぼちゃの例と同じですが、料理にしても、
最初はただきゅうりに味噌つけただけのようなもんを、どんどん調理して美味しく味付けしていって、
最終超高級料亭とかではまた素材を活かして「きゅうりに味噌つけただけ」のもんがでてきます。
手足がなくて電動の車椅子の方への対応
第一段階、何もしらない子供は、思いっきりその椅子に興味を持ったりそれについて聞いたり、珍しいからがん見したりします。
第二段階、見てみぬふり、わかってるけどあえて触れない。できる限り健常者と同じように振舞う。これが、今一番周りで多い状態だと思います。言われて助けはするけど、できる限り同じ対応。
でも、もっと進めば、それについてあえて触れれると思います。だって、違うねんもん。どんなに頑張っても同じようにはできへんし、それには同じ対応じゃ無理なはず。何も悪くない。「俺脚悪いけどお前顔相当ひどいで!」て喧嘩できるような、「ケータイ変えたん?」のノリで、「え、義足変えた??」て言えるような社会が第三段階かなって思います。
これも限りなく第一段階に近い。
芸術すら、「モノ派」とかは、もう、物体そのもの、キャベツならキャベツだけを展示するそうな。
これは世の中のあらゆることに共通します。
「初心に戻る」ってのにも似ているんかな。
何が言いたいかって
結局、「うんこ」っておもしろいよな。って話。