来ていただいて、ありがとうございます。

 

今日の文字は

 

 

 

24日の「NHKスペシャル」は

「古代史ミステリー 第二集 ヤマト王権 空白の世紀」

 

「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国の時代が三世紀。

 

次に、中国の書物に日本のことが書かれているのは

五世紀の「宋書 倭国伝」に登場する

 

ヤマト王権の「倭の五王 讃、珍、濟、興、武」について。

 

記録がない四世紀は「空白の100年」と言われています。

 

その四世紀後半に造られたと思われる奈良の「富雄丸山古墳」

2022年、ここから前例のない64cmもある「盾型銅鏡」や

2m37㎝もある「蛇行剣」が発見されました。

 

鍛冶の技術は大陸から日本列島に伝わってきました。

四世紀にヤマト王権は鉄の技術革新を起こし

高度の技術を屈指して作られたものです。

 

鉄の技術を屈指して国づくりを推し進めていたヤマト王権。

 

そして、5世紀いよいよ「倭の五王」の時代が。

 

一人目の「讃」、15代応神天皇と言われています。

大阪にある応神天皇陵、全長425m、圧倒的なスケールの

前方後円墳を築き、有力豪族からなる連合政権の基盤を

固めました。

 

東アジア情勢に目を向けたリーダーでした。

ヤマト王権は倭王讃の元、激動の世界と対峙していくことに

なります。

 

近年、韓国で「前方後円墳」が次々と発見されています。

当初、「前方後円墳」は朝鮮半島が発祥で

日本に伝わったと考えられていました。

 

しかし、副葬品を見ると倭国のものとよく似たものが

多くみられました。

こうしたことから倭人の墓ではないかと。

 

なぜ朝鮮半島に倭人の墓が。

 

当時、ヤマト王権は東アジアの動乱に巻き込まれて

重大な危機に面していました。

 

中国は三国志の時代を経て群雄割拠の乱世に突入。

朝鮮半島では高句麗が勢力を拡大し、新羅や加耶を圧迫。

倭国と同盟を結ぶ百済を脅かしていました。

 

百済に救援を求められた讃は朝鮮半島に援軍を。

 

その理由はヤマト王権の権力の基盤である鉄を

朝鮮半島から輸入していたからです。

 

当時の高句麗王は19代広開土王。

その名の通り、国土を飛躍的に広げた王です。

 

倭国は日本にはいなかった馬を使った

高句麗の騎馬軍団に敗北。

 

ここで、讃は起死回生の秘策を。

 

勢力を伸ばしていた「宋」の皇帝にブレーンの中国人渡来人の

司馬曹達を派遣。

 

この頃、中国は南の「宋」と北の「北魏」が覇権を

争っていました。

 

もし、強大な騎馬軍団を持つ高句麗が北魏と手を組めば

宋にとって軍事的脅威となることを解きました。

 

宋は倭国王に「安東将軍」の称号を与え

倭国は宋の後ろ盾を得ました。

 

倭国が高句麗に敗退してからおよそ70年あまり

この時、倭国を率いていたのは五王の5番目の王「武」

21代雄略天皇と考えられています。

 

別名「ワカタケル大王」

強力な支配体制を築いたリーダーでした。

 

その時の高句麗王は20代長寿王。

 

倭王武の秘策とは鉄製の甲冑を設計図を作り大量生産を。

そもそも朝鮮半島で発達した鉄製の甲冑、画期的な防具だったものの

高度の加工技術が必要で量産しにくいという弱点がありました。

 

もう一つの秘策とは百済から馬を手に入れ、騎馬軍団の

育成に取り組み、高句麗軍との戦いに臨みました。

 

この戦いを「日本書紀」では「敵を大いに破った」と。

 

ヤマト王権は史上はじめて日本列島に統一政権を樹立しました。

 

それを示すのはヤマト王権のシンボルである「前方後円墳」です。

「前方後円墳」は北は東北から南は九州まで各地に

広がっていきました。

 

馬は軍事目的だけではなく、移動手段としても用いられ

日本列島を一つに結ぶ重要なインフラとなっていきます。

 

海外からどん欲に技術を吸収し、それを改良して国内の統一に

活かしたヤマト王権。

 

変化を恐れないダイナミックな国家戦略によって

日本という国の礎が形作られていきました。

 

NHK+で3月31日21時59分まで配信されています。