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13日の「ブラタモリ」は「京都・東寺」

お題は「東寺は京都のシンボル!?」

 

JR京都駅から南西に1kmほどのところにある「東寺」

街中にひときわ高くそびえ立つ五重塔で有名です。

 

弘法大師空海の創建で世界遺産にも登録され

国宝25件81点を有しています。

 

平安京ができたのが794年、東寺の創建は796年。

都の入り口「羅生門」をはさんで「東寺」と「西寺」が

ありました。

 

しかし、現在は「東寺」のみ。

「西寺」はどうなってしまったのでしょう。

 

タモリさんは現在の地図に平安京の区割りを再現した地図を片手に西に450m。

そこにあったのは、「西寺児童公園」

 

その先にある大きな高まりには「史跡西寺址」の碑。

日本で一番目最初の史跡です。

 

そして、「西寺」はというと平安時代に火事で焼けてしまったそうです。

しかし、東寺も火災にあっています。

なぜ、東寺は再建され西寺は無くなってしまったのか。

 

さらに西に350mの場所に。

そこは湿地帯、地元では「汁田(しるた)」と呼ばれ

京野菜「京セリ」が作られています。

 

平安京は平安京の東側を流れる鴨川が作った扇状地で

東側は標高が高く安定しているのに対し

西寺のあったあたりは扇状地の端にあたり水が涌きやすく

なっていました。

 

西側を流れる桂川は亀岡盆地を通るためそこで扇状地を

作り山を抜けた京都では扇状地を作らなかったため

平安京の西側は標高が低い不安定な場所となりました。

 

鎌倉時代になると暮らしにくい西側をさけ人々は東側に

住むようになり都の中心が東側にずれいきました。

 

平安時代の中頃から朝廷の財政も厳しくなり

鎌倉時代の初めに「西寺」は再建されないままに

なってしまいました。

 

西寺が無くなったことで東寺の五重塔が九州下関から神戸を通る

西国街道の都の入り口の目印となり京都のランドマークと

なりました。

 

室町時代に国街道の往来が増え、東寺横の大宮通を

通って都の中心に入っていくルートが確立しました。

 

次にタモリさんたちが向かったのは東寺から西に250mほどのところ。

そこでタモリさんたちが見たのが「御土居」の跡。

 

「御土居」とは1591年豊臣秀吉が京都と囲むように

作った土塁とお濠の跡。

 

東寺はその中にしっかりと入っています。

 

タモリさんたちは暗渠になっているお濠の跡を散策。

 

平安時代の中期に無くなってしまった羅城門跡はお濠の中に。

そのため江戸時代に東寺の南大門が「羅城門」と呼ばれてしました。

 

土地の人の思いは都の入り口は「羅生門」

 

こうして東寺は誰ものが認める京都のシンボルに。

 

続いてやってきたのは東寺から北東に1㎞ほどのところの建物。

 

そこから見えるのが55mの日本で一番高い木造の建築物

東寺の五重塔。

 

明治時代に鉄道ができて東寺のそぐそばに京都駅ができたこと。

それによって五重塔は今も京都のシンボルに。

 

野口アナ「五重塔は何を思ってあそこに佇んでいるんでしょうね」

タモリさん「何か今どうだぁ、て態度とっていますね」

 

最初ちょつと疑っていたタモリさん今は五重塔に

「どうもすみませんでした」と謝罪。