大学時代、最も時間を共有したのは同じアパートの106にいたオオモト、同じクラスのツル、イシバシ君、そして、大学2年の終わりから同棲していた最初の妻…と言いたいところだが、残念ながら濃淡で言うと角田コーチかも知れない。

オオモトとは同じ広島ということもあり(彼は福山だったが…)、妙に気が合い、麻雀もたくさんしたが、深く語ったか?と言われると、隣の部屋のショウジの方が同じ国文科ということもあり、深かった。ツルは国文に基本的に興味のないやつだった。というか、同じクラスの国文科の男連中は揃いも揃ってあまり国文に興味を持っていなかったように感じた。どちらかと言えば、学歴として、履歴書の一部として中大を選んだ、もしくは中大しか受からなかった…といったところだろうか。ツルはアパート暮らしをしていたこともあり、ちょいちょい家に遊びに行ったが、彼とは基の世界が違うな、と彼の言葉の端々から感じられたものだ。


だが、角田コーチとの会話は、まず競泳がベースであること、そして、反主流だった学校水泳の話、その当時の競泳のコーチングの話、これらが発端であるだけに熱くならざるを得ない。彼は2つ歳上だが、歳下の私を対等な存在として扱った。


しかし、角田コーチは風流人であった。お洒落だし趣味も多岐に渡る。ただ、相手に合わせて話の内容を絞れる繊細さは持っていた…と思う(?)。たとえば、私は車に全く興味がない。彼は根っからの四駆好き、もちろん車全般好きだが、私がドライブのメンバーに入っていると、車そのものの話よりドライバーの常識やマナーについて語る。そして、私が語りやすいテーマに話を切り替える。


だから、趣味の狭い私は共通の好きなアーティストの歌詞を深読みし、それを披露することに専念できた。今思えば申し訳ないばかりだが。


上京2年目、共通の好きなアーティストがニューアルバムを出す。2人とも買った。それぞれお気に入りの曲は違ったが、別にその曲が違えども、嫌いなはずもないから好きな理由を互いに言い合うことで、「へぇーっ」だの「なるほどな」だのと言い合えた。


そのアルバム、全て好きな曲なのだが、悲撃のヒロイン症候群だった私がドはまりした曲は離婚した夫婦が大晦日に会う歌。まさか、自分がそんな境遇になるとも思わずに。

「こんな状況になったら死にますよね…」などと嘯いていた。4年後、大晦日に娘へのプレゼントを託すことになろうとは。


悲しい大晦日が今でもくっきりと蘇る。


「Newyear's eve」 浜田省吾