不惑を迎え、希望よりも不安の方が大きくなる。元来、中島みゆきの影響で絶望的観測をするのが癖である私は、とりあえず目の前の不安から逃げるかのように教え子の応援に力を入れる。教え子を応援することで、「今」の自分を辛うじて肯定し、過去をも肯定することで心のバランスを保っていた。が、そもそも、動機が不純であることは間違いない。その当時、特に力を入れて応援(応援に力を入れる、というのも言葉としてどうかとは思うが…)していたのは横浜ベイスターズで投手だった牛田成樹、テンションパーマというバンドをしていたエンドウ、そして、女の子3人組のバンドだった。


この時期、毎年、牛田一家と食事をするためにファン感謝デーに出かけていた。11月23日に横浜へ行くのは楽しみでもあり、少しアンニュイをも携えていた。やはり、自分が住んでいた街、仕事をしていた街というノスタルジアに加えて、あの頃の仲間の誰とも会えない虚無感が一気に襲ってくる時間がホテルに入った瞬間に訪れるのだ。ハマスタの横にある東横インに一人きりでチェックインして、教え子やら卒業生やら、応援友達やらと待ち合わせ、ファン感を楽しむために出かける前、少し寒くなりつつある秋の終わりに部屋が少し寒く、荷物を置いてタバコを吸う。エアコンをつけてないので、タバコの煙が漂う部屋の中で思う。

「なんで、横浜で独りやねん…」

束の間、寂しさに襲われつつ、待ち合わせに出かける。そこからはキャラを取り戻し、楽しげに振る舞う。実際、楽しかった。夕方、一旦解散し、「梅林」で鰻のコースを、牛田一家を囲んで応援仲間たちや卒業生と楽しみ、一家が帰ったあとはBay's clubという呑み屋で二次会。食べたくもない回鍋肉っぽいメニューを頼む。理由は簡単。その店は各メニューにベイスターズの選手の名前が冠されており、「牛田」を頼んでいただけだ。


横浜…関内での飲み会は終わりが早い。各自、電車で帰宅していくからだ。つまり、関内に残るのは私だけ。いつも、皆を送ってからホテルに帰る。その頃は完全に夜型の生活だったので朝5時くらいまで眠れない。その時間が辛かった。


ここは、横浜なのに…。

追浜に行きたい…

津久井浜に帰りたい…


窓から見える横浜の街並みを眺めながら悲しくなる。


携帯にダウンロードした女の子3人組バンドである教え子の新曲を聴きながら涙した。


絶対にこの子たちの曲で泣くことはないと思っていたのに。いや、しゃあない。あの頃のオレは25やったやんか、この子らも今は25歳やし。だから共感してるだけや…などと自分にぐちぐち言い訳しながらもこの曲にはズンズン引き込まれていったのをハッキリ覚えている。


この曲を聴くと、不思議なことに横浜の夜景が思い出さずにはいられない。


「染まるよ」 チャットモンチー