2000年の3月、ごくごく小さい念願が叶う。1993年、鳴門に都落ちしてから、東京まで遠いことは当たり前のこととして受け入れられていたが、それまで最も切望していた街…高知には近くなるはず、と考えていた。ところが、実際四国に戻ってから痛感したのは都会からすると様々なことが遅れていたことだ。コンビニさえもなかったし、インフラの遅れは言うまでもない。まあ、2024年現在、徳島には未だ電車が走っていない国内唯一の県だから、遅れどころではないかも知れないが。ちなみに、その当時、高速道路が走っていない県でもあった。厳密には大鳴門橋が淡路と鳴門を結んでいたので、これを高速とすれば別だが、県都徳島市に高速が通るのは1995年である。その前年に藍住と脇町の間だけが開通し、あまり利便性は上がらなかった。高知へ行くにも、藍住まで下道、そこから脇町まで高速に載ったとて、降りてからひたすら下道。池田から川沿いに延々下り、大豊インターで載り直すか、または、池田から真っ直ぐ愛媛に向かい、県境のトンネルを越え、坂を下りきった川之江インターで載り直すか。どちらにせよ、3~4時間の道のりだ。近くなんか、ない。いや、東京に較べたら「距離」は近いが、精神的な隔たりは却って大きくなった気がした。それが、2000年3月、徳島から高知までの高速が全通したのだ。これは、本当に嬉しかった。一気に高知が近づいた。だから、この年は年に数回、高知へ行ったものだ。


遠距離恋愛は、距離ではなくそこまで行くための手間こそが隔てるものであろう。この年、高知にいる女性と親しくなった。しかし、当時の私は仕事が月~土で退勤時間は平均して24時前後。日曜日に日帰りは可能でも、なかなか夜の高知は難しい環境下に置かれていた。すると、その彼女はJRで高知と徳島の真ん中、阿波池田駅まで来てくれるという。仕事後の長距離ドライブはキツかったので、とても助かる。とはいえ、池田まではやはり、1時間以上かかるし、その後、高知へも1時間くらい。だが、人が横にいるだけでかなり負担は軽減される。


彼女と会うのは、交際して初めてだったので、私が普段どんなBGMを車でかけているのかも知らなかったようだが、少し前に流行った曲を聴いていたところ、「へぇっ、こんな曲聴くんですね」と、意外そうな顔を見せた。いや、見せたのだろうと頭で処理した。高速を夜中に運転しているのだから、顔をまじまじと眺めたわけではないからだ。だが、声の調子は明らかに意外そうだった。その顔を見たくて、高速を降りた後、高知市内を見下ろせそうな加賀野井の坂へ上がる。そこから見下ろした時、空にはポッカリ月が浮かんでいた。


それからというもの、私の「意外な」曲の趣味を彼女は次々と知り、時には好きになってくれたりもした。


遠距離は電話で話せたら話せるほどモヤモヤが蓄積する。


気づいた時には彼女とは別れていた。


この曲を聴くと、夜中の高速を疲労困憊の中、それでもウキウキして走ったあの夏の夜、そして、坂の上から眺めた月の光を思い出す。


「月光」 鬼束ちひろ