少ない小遣いを貯めてどうしても欲しいレコードを買うのはなかなか難しかった中学生時代。月の小遣いは1,500円だった。レコードはシングル盤が700円、アルバムは2,800円のものが多かった。だからお年玉を遣うのだ、という友人が羨ましかった。高知に転居する前から、お年玉をくれそうな親戚が殆ど九州にいた。そりゃそうだ。父も母も熊本出身。熊本に年末年始を使って帰省すればお年玉も見込めよう。だが、私を含めて三兄弟を連れて両親が帰省するのは、長男である私が小学生で国鉄料金が半額である時期までだった。そうか、だから、中1の夏は車で帰省したのだろう…。今になってようやくわかる…親は大変だ。


閑話休題。


レコードを買えなければ、とにかくエアチェックしかない。最近では死語かもしれないが、あの頃はラジオから録音するのが一番のコスパ最強手段だった。とはいえ。都会と違って広島も高知もFMはNHKしかなかった時代だ。AMから録音しようものなら、ノイズが多くて覚えるためならいいが保存には向かない。そのFMオンエアされる曲は事前にわかっていたのが昭和のいいところだ。なんせ、FMステーションなんていう雑誌が発売されていたくらいだ。一回購入してみようかと立ち読みしてみたが、残念なことにお江戸にはたくさんFM局があるらしく、多くの局の番組表とオンエア予定の楽曲はあったが、地方の田舎モンにはあまり役に立ちそうもない。というのも、NHK-FMの週間番組表は各新聞の日曜日に掲載されており、信じられないくらいオンエア曲も載っていたからだ。日曜日はその面を抜き取り、細かい字を追いかけて目当ての曲を探す。学校に行っている時間だと専業主婦だった母に頼む、頼み込む、ひたすらお願いする。


ところが、好きなアーティストの、聴きたい曲を漏れなくオンエアすることはないものだから、どうしてもアルバムが欲しくなるのだ。そこで、アルバムは最初から特定のアーティストに限定して年に一回のお年玉、しかも、親からのみなので確か3,000円だったと思うが、それを遣って買うのだ。中2の初頭にそれを決めた。買うのは大貫妙子、と。だが、それ以外にも好きなアーティストは、いる。シングルだけを録音すればことが足りる訳ではない。そんなアーティストのアルバムが欲しくてウズウズしていた。


1982年の大晦日、父方の曾祖母が亡くなる。父は跡継ぎのいなかった曾祖父母の家に長いこと養子として入っていたこともあり、父にとっては育ての親が曾祖母(父の祖母)だったのだ。父は高知から急いで熊本に帰省した。そして、葬儀を済ませて戻ってきた父から思いがけなく親戚から預かったお年玉をもらう。初めて合計額が万単位だった。そこで、アルバムを購入することにした。母はレコードを買うように、と繰り返し私に言う。しかし、そんな諫言を無視して、私はカセットを買った。あの頃はアルバムをレコードとカセットで売るのが一般的だった。母は「安っぽいからやめなさい。レコードを、ここぞという時に聴くものよ」と繰り返したが、思春期反抗期真っ只中のガキは無視した。買ってから後悔したのは言うまでもない。ダブルデッキのラジカセができるまで、そして、入手するまでは、好きな曲の編集ができないのだ。しかも、1曲目でなければ、巻き戻して何度も聴くのが面倒だった。頭出し機能はついていたが、2曲並んで好きな曲があると、1曲しか巻き戻せないし。

そのアルバム、「帰らぬ河のほとりで」のB面の3曲目と4曲目が好きだった。A面、B面ともに5曲ずつ収録されていたから、中途半端な位置だった。何度も何度も同じ箇所ばかり聴くので、カセットテープがのびきってしまい、ついには聴けなくなった経験を持つ昭和世代は多いだろう。無論、このテープも2年後にはすっかりのびてしまった…


でも、あの曲を持っていた。あの時期に。


今ではリバイバル盤のCDや、ベスト盤のCDが出ているし、配信やYouTubeでも聴ける時代になってしまったが。この2曲を聴くと、あの頃の感情が甦る。


「桜びえ」「たそがれ詩人」 雅夢