慣れ親しんだピープルからKITZに移ったのは1992年6月。ピープルのカリキュラムを使っているから仲間意識があるのかと思いきや、ほとんど敵意しか持っていない社員たちに辟易するとともに、選手を立ち上げるのもままならないかも知れない雰囲気を感じとる。だが、バルセロナオリンピックも終わり、オリンピアンが来る段になり、周りにもようやく馴染めてきたのが9月だった。それでも楽しみは有線放送でかかる音楽だった。早稲田大学の水泳部だったオリンピアンも金沢文庫にアパートを借り、何だか学生時代のノリを久々に楽しみながら秋が進む頃、貸しビデオ屋でやたらとビデオを借りる。ツイン・ピークスが流行っていた頃だったが、B級映画やドラマを好んでいた私は名前も知らないようなものを借りていた。「なまたまご」という内容も覚えていないビデオがあった。


有線放送は曲名がわからないまま曲が流れる。ヒット曲やドラマの主題歌、CM曲だと必ずわかる人が何人かいて、教えてくれる。そんな中、誰も知らない曲がかかる。なんせ、プールサイドは、ただでさえ音が反響して聞き取りづらい。その曲は織田裕二の歌のようにも聴こえた。だが、CDショップで織田裕二の曲を探したとて見つからない。そこで、有線放送の地域ステーションに電話で確かめた。曲名とアーティストを教えてもらう。うっすら思い出す。あの、「なまたまご」でかかっていた曲だ。そこで、再びCDショップへ行き、その曲名でCDを注文したのだが、ないのだ。しかたなく、再度、有線放送のステーションに電話でCDの商品ナンバー(?)を訊ねる。メルダック10022だった気がする。すると、CDショップの店員が言う。「あぁ、これですね。『こっぱみじんのロックンロール』ですけど…」でも、そのCDのカップリングに目当ての曲は入っていた。「大丈夫です」届いたのは10日くらい経ってからだった。そもそも、それまでの間、1ヶ月くらい、ずっと、同僚たちとたくさんの10円玉を用意し、下の階にある公衆電話で「M-3(地域の属性の呼び名だったと思う)のキッツですけど…」とさんざんリクエストしていた。そのおかげで、横浜地区でベスト10に入ったのは、全国よりかなり早かったはずだ。


その後、その曲は大ヒットし、カップリングではなく、メインのタイトル曲になり、アーティストもバンド名を漢字に変えて、アレンジもバイオリンを入れて…と売れ線に舵を切ったが、私は元のアレンジが好きだった。





横須賀の夜は、この曲が似合っていた。


THE虎舞竜ではなかった頃の。


「ロード」 THE TROUBLE