国語を生業とする人間にとって、最も気になる、耳に障るのが「本人が正しいと思い込んでいるが本来は間違った言葉遣い」である。


一昔前なら、「ヤバい」「なにげに」、さらには「なにげに」の進化形(?)「さりげに」。また、「いさぎがいい」といった使用方法。大の大人が「いさぎがいいですよねぇ」などと「宣ふ」のを聞くと、ずーんと心が沈んだものだった。


そういったことを指摘していた時期もあった。反応は3種類。

1、指摘されたことを受け入れて直そうとする。そして、感謝する。こういった人は稀である。

2、あからさまに嫌そうな顔をする。まあ、本人は「正しい」と思っているわけだから、ただの「悪口」か「揚げ足取り」なのだろう。

3、言葉が変遷するものであるという理屈を振り回して、「辞書が全てじゃない。みんなに通じるなら別にいいだろ」と大上段に構える人。この方々が面倒だ。知らなかったなら素直に聞き入れればいいだけの話なのだが、なかなかそういう気になれんのだろう。


最近では、「固定観念」のつもりで「固定概念」を遣う人の増えたこと増えたこと。

そもそも、「概念」とは、「大まかな考え」である。「観念」とは「思い込んでいること」なのだから、「大まかな考えが固まっていること」という語義矛盾が生じている。

「煮詰まる」と「行き詰まる」の違いも気になってしかたない。煮詰まるは、「そろそろ完成する」んやけどなぁ…と、深刻そうな顔をして語る人を眺めてしまう。嬉しくないんかな、完成は。


でも。


諦めた。


しんどいわ。