祖父が亡くなった。
89歳だった。
3年前に脳梗塞を患っていた。
片手が不随となり、言葉が出なくなったが意思表示はあった。
リハビリをして杖をついてゆっくり歩けるようになり施設に入っていたが、
転倒で骨折してからはほぼ寝たきりだと聞いた。
身内が面会へ行くと、しがみついて離れないらしく、おそらく家へ帰りたいと訴えているのだろうとの事。
昭和初期生まれの祖父は貧しい時代を経て苦労してきたが、
漁師を継いだ息子達が大きい船に乗り、徐々に安定した暮らしとなった。
津波の被災もあってだが、なんと祖父は生涯の中で住む家を4軒も建てる事となる。
(人生わからないもんです)
コロナ禍となり、施設の面会もほぼ無くなり寂しく暮らしていたと想像する。
幼い頃の私は、近所の祖父母宅へしょっちゅう泊まりに行き、畑仕事まで付いて行った。
頻繁にお小遣いをもらい、さんざんかわいがってもらった。
私が祖父に最後に会ったのは2019年の夏。
翌年のコロナ禍を考えると、この時に会いに行けて本当に良かったと思っている。
たまたま帰省しなかったなんて事だったら、きっと今頃は激しく後悔していたに違いない。
なかなか会いに行けなくてごめんね、
今までありがとう、
体の痛みから解放されてゆっくり休んでね、
もうあちらへ行ったのかなぁ、
などと、毎日心の中で祖父を偲ぶ。
東北の宮城と九州の福岡ではかなり距離があるが、
合計12人いる孫達の中で、祖父を思う気持ちは誰にも負けない自信が私にはある。
初孫で、一番遠くに住んでいるからこその、
すぐそばにいる孫達よりも、故郷や身内への強い想いがある。
帰る場所があるから遠くでがんばれるというか、
18歳で故郷を出てからというもの、寂しさや悔しさも生きるバネになるという事を知ったほどの強い想いであります。
お盆には宮城へ帰れるだろうか。
コロナ禍の状勢にもよるが、都会からの帰省、
ましてやワクチンを打ってない私と息子は歓迎されない。
今回も帰れず祖父に最後のお別れができなかった。
万が一都会からコロナを持ち帰ったら大騒ぎとなり、実家の家族は村八分となるだろう。
それくらい閉鎖的な、かなりの田舎町であります。
山(農業)や海(漁業)と共に生活する東北人は働き者だ。
祖父は脳梗塞を患う直前までは畑仕事もしていたほど元気だった。
祖父の最期は、叔父が、
「いさだ(漁)もワカメ(養殖)も無事に全部終わったから。安心してもう寝ていいから」
と言ったら、口をもごもごして息を引き取ったとのこと。
コロナの影響をのぞけば、祖父は幸せだったと想像する。
もう祖父に会えないのは寂しいのだが、
きっと見守ってくれていると思うとあたたかい気持ちになる。
今日イオンへ買い物に行く時に、モンシロチョウがひらひらとそばに寄ってきて私から離れず、思わず祖父ではないかと思ってしまった。
ろくに祖父に顔を見せなかった孫が、見守ってもらっていると思うのは都合のいい話だが、
そう思うと不思議と前向きな気持ちになり、良い方向へ導いてくれるような気がしてならない。
どうか祖父が穏やかな気持ちで天へ召されるよう、
遠い福岡の地から、感謝と共に祖父を偲んでいる。
震災から数年後の大晦日
紅白歌合戦にて
「花は咲く」という歌のバックに東北の被災地からの写真が何枚か映り、
祖父母の写真が出てテレビの前で思わず叫んだのでした
いい思い出です
