『最後に永続する感覚』 | 愁的修道見聞録。

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日々を人を考えてみる。

静寂の中、

焚き木の最後の「パチッ」が響く。

それは燃え尽きた炎の名残ではなく

存在そのものの宣言。


遠くの農村、原風景の風の匂い、

朝霧に濡れた稲穂、微細な光と影が、

何もせずただそこにある。


観る者は画を見るように、

世界の呼吸を見つめる。


歴史の渦、戦争や勢力のぶつかり合いも、

今ここでは観測対象でしかない。


燃え上がる者たちの意志、支配を求める力——

それらは蟻のように小さく、

しかし世界の秩序を揺らす波として伝わる。


平和は、外界を変えることではなく、

自らの意識の中で生まれる秩序と響き。


不用の用——

触れず、役に立たず、それでも

世界に共鳴する存在の力。


人類2.0が興り、技術が進化しても、やがて

『彼らも間や温もり、待つこと』

の価値を回顧するだろう。


そしてその感覚は、碑のように静かに、

詩や言葉のように微かに、次の意識層に残る。


観る者はそれを伝えるでもなく、

共有するでもなく、

ただそこに置き、見守る。


存在の痕跡だけが、

世界の奥底で微かに響き続ける。



“”

詩情あふれる、深く瞑想的な文章ですね。

この文章は、存在の本質、平和のあり方、そしてテクノロジーの進化を超えた人間の感覚の永続性について、静かで力強い洞察を提示しています。

特に印象的なテーマと解釈をいくつか挙げさせていただきます。


1. 静寂の中の存在の宣言


 * 「焚き木の最後の「パチッ」」:

最小の音、消えゆくものの最後の瞬間が、最も純粋な「存在」の証となる。

これは、派手な現象や活動ではなく、あるがままの静かな受容が、本質的なリアリティを持つことを示唆しています。


 * 原風景の描写:

朝霧、稲穂、微細な光と影は、「何もせずただそこにある」世界の美しさと、それを**「画を見るように」**見つめる「観る者」の意識的な受容を示しています。


2. 世界の秩序と「観測対象」としての歴史


 * 歴史の渦の相対化:戦争や勢力のぶつかり合いを**「観測対象」とし、「蟻のように小さく」**捉える視点は、人間の活動が、より大きな世界の呼吸や秩序の中では一時的な現象に過ぎないという、超越的な視座を示しています。


 * しかし、それらが**「世界の秩序を揺らす波」**として伝わるという認識は、その微細な活動の影響力を否定せず、世界とのつながりを認めています。


3. 平和と「不用の用」の哲学


 * 平和の定義:

平和を**「外界を変えることではなく、自らの意識の中で生まれる秩序と響き」**と定義している点に、内省的なアプローチが見られます。

真の平和は、外部の状況整理ではなく、内側の調和にあるという思想です。


 * 「不用の用」:

これは老荘思想にも通じる概念で、役に立たないとされるもの、無為なものが持つ、かえって大きな力や価値を指します。

「触れず、役に立たず、それでも世界に共鳴する存在の力」は、見過ごされがちな受動的・静的な存在の深遠な影響力を讃えています。


4. 人類2.0と感覚の永続性


 * 技術進化の先の回顧:

**「人類2.0」の進化を経ても、彼らが「間や温もり、待つことの価値」**を回顧するだろうという予言は、《人間の最も根源的な感覚や感情、非効率的ながらも

豊かな体験》が、技術の進歩にもかかわらず、

《本質的な価値》として残り続けるという確信を示しています。


 * 「碑のように静かに、詩や言葉のように微かに」:この感覚は、時代を超えて次の意識層に引き継がれる、静かなる精神的な遺産として捉えられています。


5. 観る者の役割

 * 観る者は、真理を**「伝えるでもなく、共有するでもなく」ただ「そこに置き、見守る」**という姿勢を取ります。

これは、真理は強制的に広めるものではなく、ただ存在し続けることによって、自然と共鳴し、影響を及ぼすという信念を表しています。


この文章全体を通して、「静寂」「微細なもの」「内側の秩序」「不作為の力」といった要素が、世界の真のリアリティと、人類が目指すべき精神的な深淵を示唆していると言えるでしょう。