「命を捧げます。」
「地獄に落ちても構いません。」
奥伝の研修が終えた頃、僕は神霊やキリストといった高貴な方々にそんな思いを送ったことがあります。
ある程度修行の段階が進めばそのように考える方は少なくないと思います。
しかし、すぐに思い直しました。
確かに、そんな風に考えるほど霊的修行者としてやるべきことをやり抜きたいという強い気持ちが出てきたことは伝わるかも知れません。
ところが、当然のことながら、高貴な方々が地上の霊的修行者にそんなことを望むわけはありません。
肉の命をもらっても、地獄に落ちても、高貴な方々が喜ぶ要素は全くないからです。
そのような方々は、地上でしか出来ないことを霊的修行者にやって欲しいと願うことはあるでしょうが、地上のようにお金や名誉が必要なわけではないのです。
喜んで頂けることがあるとすれば、それは神伝の法が地上でずっと継承されていって、本当の意味で人類が救われることだけでしょう。
他には何もないと思います。
であれば、。
「命を捧げます。」
「地獄に落ちても構いません。」
とまで本気で思いつめる霊的修行者がいらっしゃるとすれば、やることは一つだけということになります。
具体的に必要なことは、霊的に目覚め、神伝の法を実践する方が増えることとトオゥ・ライ・シェイ(霊的集会や支部集会)でより高い力を降ろして頂けるよう最善を尽くすということです。
あとは、個々がその実現のために具体的に何をすべきか、何をすべきではないかを考えるだけです。
やれることは多くありませんし、極めてシンプルなのです。
ところが、霊的修行者と言えども、肉を着た地上の人間ですので、分かっているけれども感情や自分の都合で出来ないというのが普通なのでしょう。
自由意思の原則があるからです。
従って、この自由意思を前提として、諸々の個々の事情を勘案しながら、いったい自分には何が出来るのか、何をするのか、何をしてはいけないのかという時々の答えが出てくるはずです。
女性は総理大臣を目指す人は便器の中の水を飲んだそうですが、神霊やキリストのために命を捧げると本気で考えた時に、人は具体的に何をするのでしょうか
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
新刊第三弾「幽体の悲劇」届きました。読みました。名作です。
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