今日は移動日なので、連続更新です。
霊的な修行に知性や教養は必要ありません。
そもそも自分に知性や教養があると思っている人に知性や教養があるとは思えませんが、地上の価値観であるそのようなものと霊的な成長とは無関係です。
いや、関係があるかも知れません。
あると場合によっては霊的な成長を妨げるからです。
しかし、物事を一面しか見ないのは良くありません。
何度も書いていますが、対外的な活動、団体内の活動、いずれにしても霊的活動は霊的修行者ではない方や初心者の方との接触がありますので、地上の価値観として知性と教養があった方が良いというケースは少なくないでしょう。
そもそも、社会常識があるとは思えない霊的修行者と一般の方が接触したら、もうそれで水波霊魂学まで否定されてしまいます。
どのような立場であれ、水波霊魂学を語れば、他の人から見れば、その人イコール水波霊魂学になってしまうのです。
知性や教養というものまで求められるかはともかくとして、通常の社会における常識は必要です。
ところが、道を間違えた霊的修行者はその部分を疎かにします。
むしろ、あえてそうではない部分を強調したがります。
自分は普通の人とは違うんだと言うことを示したいからです。
しかし、普通の人が普通の感覚で見れば、それは異常者の言動なのです。
それに気がつかないから落とし穴にはまるわけです。
では、結局、知性や教養は必要かという問題の結論はどうなるのでしょうか。
僕にも分かりませんが、あるということを前提にしてそれをきちんと使いこなせば、プラス材料になると思います。
必要なことは、他者と接する際の態度が誠実で信仰に対する真摯さが垣間見れるかと言うことだと思います。
それは演技ですることではなく、内面から自然に出てくるものだと思います。
僕は常に訓練が極めて重要だと言っていますが、それはそれとして、本気さというものがにじみ出ると言うこともあります。
講演になれた方の名演説より、たどたどしくても心の底から沸きあがる何かを訴えた場合の方が人々の心を打つというのと同じです。
常識もなく、霊的な修行が進んでいるという勘違いから上から目線の言動や独断や押し付けがあれば、どんなに訓練を積んでも駄目です。
落ちるだけです。
但し、訓練しないと出来ないことがほとんどなので、訓練も重要です。
知性と教養もそうですが、あるといけないとか良いとか一面だけを見て言えることなど一つもにないのです。
判断は全て個々の自由意思に委ねられています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
新刊第三弾「幽体の悲劇」届きました。読みました。名作です。
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