当たり前のことですが、地上で生きる以上、社会というものを無視することは出来ません。
それはすなわち人間関係でもあるのですが、常に周りのことやなにかにかけて直接の当事者に気をつかって生きていかなければならないのです。
度合いの違いがあるにしろ、それが家族や恋人であっても例外とならないところが辛いですね。
ところが、幽質界で食べる必要も寝る必要もない霊魂は、地上では想像出来ないほど自由なので、人間関係など気にする必要はありません。
そもそも、義務というものがないのです。
自由は限りないと感じるほど自由で、同じ幽質界でも下の世界に落ちる自由まであります。
ところが、下の世界に行けば行くほど、地上の価値観が持ち込まれているので、自由はなくなるようです。
邪霊と言われるほどになれば、親分の命令は絶対ですし、逆らえば地上とは比べものにならないほどの苦痛を与えられます。
個々が自由である幽質界には民主主義などないはずなのに、下の世界ではそんな地上の価値観が持ち込まれているようです。
民主主義という言葉からは良いものを感じられる方がおられるかも知れませんが、幽質界においてはとんでもないことです。
働くことも寝ることも必要なく、とにかく全て自由な霊魂が、民主主義という名前の多数決によって、自分の自由意思を制限されてしまうのです。
これはもう、霊魂の本質を否定するような重大な問題なのですが、地獄のような世界までは落ちていない霊魂でもなぜか死後すぐに自分の置かれた状況を受け入れることが出来ずに、民主主義を主張する場合があるようです。
民主主義には絶対的な価値などありません。
独裁者による支配に苦しめれた地上の人々がそれを回避するベターの道具として創ったものに過ぎません。
地上の価値観においてもプラスとマイナスの面があることが認められています。
人という霊的生命体とは無縁のものですが、再生の負の連鎖によって変質してしまった幽質界においては、重要なものとされている場合があるようです。
そもそも、人という霊的生命体が住むにはふさわしくない地上という物質界なのですから、人間関係という本来ないものが極めて重要になり、民主主義という霊的には摩訶不思議な制度が出来てしまったのでしょう。
本来、他者の都合に自分の都合を合わせるなどということはあり得ない馬鹿馬鹿しいことなのです。
ところが、地上で霊的活動をしようとすれば、一番優先されることがその極めて馬鹿馬鹿しい行為なわけです。
そのことが腹に落ちてないと大失敗するでしょう。大切なことは唯ひとつ・・・・・。
新刊第三弾「幽体の悲劇」届きました。読みました。名作です。
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