時折、なぜ自分は霊的に目覚めることが出来たのだろうと考えることがあります。
この最悪の霊的状況の中、積み重ねられた地上での人生のほんの一瞬のチャンスに出会わなければ、霊的に目覚めることは無かった思います。
霊的修行者となってからの紆余曲折もありますが、決定的なことは今回のような人生を歩み、いろいろな場面でそのような判断をしなければ、水波霊魂学に出会ったとしても何も感じなかっただろうということです。
あの時の心情は、ずっと積み重なった人生の結果であり、何か一つが足りなくても、水波霊魂学から衝撃を受けることはなかったと確信するからです。
人生において都度判断をしているので、うまくここにたどり着く可能性など皆無のはずなのです。
もちろん、守護霊や指導霊の方々は最善を尽くして下さっただろうし、過去世において本当に人々を救う宗教家の下で働きたいという強い思いがあったようなので、幽体の意識もかなり強く働いたと思いますが、それにしてもこれだけ神伝の法が無視されている世の中で、そこに真実を見出そうとすること自体が極めて不可思議なことなのです。
そして、常に最も不思議だと思うのは、時々に重要な判断をさせるきっかけとなった人たちがなぜ霊的に目覚めることがないのだろうかということです。
両親はもちろんのこと、僕の人生では僕が主人公なので、霊的な目覚めに至るまでのキャスティングがいっぱいあったのです。
僕から見れば、僕の人生ドラマのキャスティングの方々にとっては、僕は彼らの人生の脇役のはずです。
僕の方から見れば、僕の霊的目覚めのために必須の方々だったわけですが、彼らは僕の人生のために地上に誕生したわけではありません。
法則によって地上に生まれ、霊的カルマを解消し、霊的に進歩向上するために人生を歩んでおられるはずです。
どう考えても、この人がいなければ、今、僕は霊的修行者になってはいないと思える方が数人いらっしゃいますが、誰一人として、霊的に目覚めておられる方はいらっしゃいません。
直接、僕が水波霊魂学を紹介した方もおられます。
しかし、決して目覚めない。
そう考えると霊的修行者になってから結婚し、わけがわからないまま霊的修行者になった妻は極めて特異な存在だということになります。
霊的に目覚めない方々が不思議でたまりません。
霊的に目覚め、霊的な活動をするためにわざわざ地上に誕生した方の多くが霊的に目覚めることすらないことを考えれば、不思議なことではないのかも知れませんが。
やはり、運不運や目覚めるための決定的な何かがあるのかも知れません。
そして、そのような奇跡的な確率をかいくぐってきたのに、もしかしたら僕たちはイエス師の弟子たちとは比べものにならないほどのミスを犯すのでしょうか。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
新刊第三弾「幽体の悲劇」届きました。読みました。名作です。
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