人という霊的生命体には自由意思があり、地獄のような世界に入る自由も認められています。
神に憎悪をぶつける自由もあります。
この自由というのはやろうと思えばやれるということです。
地上では法律がありますが、違法なことをする人は絶えることがありません。
自由なのです。
但し、社会の一員として法律を破れば、法律によって裁かれます。
自由というのはなんでもやって良いという意味ではありません。
ただ、日本の法律は自殺を違法としていません。
自殺によって民事的に損害を与えれば損害賠償責任が生じますが、犯罪ではないのです。
日本の法律は自己の生命に対しては徹底的な自由を認めているわけです。
ところで、霊的修行者にも自由意思はあります。
霊的トレーニングをやらない自由もあります。
やらなければ自己責任の結果を負うだけで、そのことのみによって退会させられるわけではありません。
霊的集会に参加するもしないも全て自由です。
参加すれば霊的に物凄い効果がありますが、しないからといって退会になるわけではありません。
これらは一般的に霊的修行者も自由意思が認められているという意味を説明するのに使われる例として挙げられるものですが、僕は実はある程度修行を続けていくとその先に本当の意味での霊的修行者としての自由意思というものを考える必要があると思っています。
実はそのことは、師が監修をされておられるHPにはっきりと書かれています。
ここでは、僕の個人的な考えや意見を書くのは控えたいと思います。
師の著書にしろ、師が監修をされておられるHPにせよ、霊的修行者として段階を進んだ時に何を考え、何をすれば良いかのヒントがちりばめられていることに後で気がつくことになります。
そして、もう一つ、僕がよく読む箇所を紹介させて頂きます。
結局そういうことなのだと思います。
その努力や苦悩を乗り越えるという意味は、個々が考えることですが、霊的活動をする以上、他者との関係をどのようにすれば良いかということは極めて重要な問題となるでしょうし、その部分には細心の注意を払わなければならないということになるでしょう。
神伝禊法も神伝鎮魂法も5つの段階があります。
地上の人間にとっては、次伝まであれば十分なような気もしますが、そうではないようです。
本物のプライドや拘りというのはどのようなものなのでしょうか。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
新刊第三弾「幽体の悲劇」届きました。読みました。名作です。
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