仕事を家事をして、肉体を維持する為に肉体を酷使するという矛盾。肉体の維持は本能なのでどうしようもありませんが、維持をしてどうするのかということを突き詰めると結局何もないと感じる方は少なくないはずです。
憧れる職業やしたいことに燃えて努力しているうちは、精神的に楽しいのでしょうが、ある程度年月が経つとほとんどの人が、今の生活を維持するために働いたり、家事や育児をすることになります。
もちろん、たまには好きなことをしたり、美味しいものを食べたりして、ささやかな幸せを感じることがありますが、それが目的で生きているわけではないはずです。
努力して、それが毎日でも出来るようになったらなったで、いつしかそれに飽きてしまいます。
誰もが憧れるような夢のような生活もしばらく経てば当人にとっては極めて現実的な日常でしかありません。
肉を楽しませる方法はそれほど選択肢があるわけではありません。
満たされない時は渇望するものも当たり前になってしまえば、何の喜びもないのです。
そのくせ、失うことは恐れます。
もちろん、誰もが地上での人生をおもしろおかしく生きられれば良いのですが、そういうわけにはいかないところが悲しいところです。
そこで、人は自分なりに人生に意味を持たせようと考えます。
これをしたことが自分の人生の証だと考えたがるわけです。
しかし、所詮、それは自分自身を納得させる方便でしかありませんし、実はそのことを自分自身が一番分かっているのです。
人生に意味を持たせようとしても無理なのです。
人生に意味があると実感するには、実際に意味があることをなすしかありません。
自分を誤魔化すのではなく、本当に意味があると思えるには、人が霊的生命体であることを思い出すしかないのです。
肉の脳や表面意識はそれが分からないのですが、幽体や霊体の意識が分かっている以上、地上においてもそれを実感出来る方法があるのです。
それが神伝の法なのです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
新刊第三弾「幽体の悲劇」届きました。読みました。名作です。
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