1379th  茶器 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

先日、緑茶カフェで器の素晴らしさに魅せられてから、毎日のように美味しい緑茶を入れる練習をしています。

コーヒーや紅茶とともに緑茶も追求したいと思ったのですが、まあ、一応、家庭で飲むうえではそこそこ満足がいく緑茶がいれられるようになりました。

こうなると急須や湯飲みや湯ざましや茶筒に拘りたくなるのですが、現在家にあるものを使ったり、アマゾンでそこそこのものを買ったりして、満足しています。

お茶の葉はリーズナブルで満足がいくものを手に入れるには大阪の四ツ橋まで買いに行かなければなりませんので、しばらくは今日、大丸で購入したもので我慢することにします。

決して安いお茶ではないのでまあまあ美味しいお茶を飲むことが出来ています。

ところで、茶器というと僕は織田信長を思い浮かべます。

千利休というと豊臣秀吉を思い浮かべる方が多いかと思いますが、最初に千利休を見出したのは織田信長です。

そして、織田信長のすごいところは、日本の領土が狭いが故に、いつか恩賞として土地を与えることが出来なくなることを見越して、茶器などというものに芸術的な価値を与えることを考え、それに千利休を利用したことです。

このあたりの発想が、秀吉や家康と違うところで、寿命を越えた先のことまで考えて政治をおこなっていたことがよく分かります。

その思惑にのせられた大名たちは一国の城よりも茶器を有難がったわけですが、実は茶器は茶器です。

芸術的な価値はともかく一国と同等の価値があるはずがありません。

しかし、そこは地上の需要と供給の理屈があてはまってくるのです。

欲しい人がいれば、一国と同等の経済的な価値のある、例えば、米だのお金だのと交換してくれという話になるのです。

そうなると茶器も一国と同等の価値があるということになります。

ところが日本全土が飢えで苦しむことになった時、その茶器が米や水を生み出すわけではありません。

地上の価値観とはそのようなものです。

地上では命が一番大切で二番目が命を維持するための道具であるお金だということになるのでしょうが、もし、仮に死んだ後にあの世があり、それが本来、人が住む世界だということを知っていたら、その価値観はどのように変るのでしょうか。

もちろん、我々霊的修行者は地上で生きている意味を個々に感じていますので、幽質界が本来の住処であると実感していても、自分や他人の命を粗末に考えることはしませんが、地上の価値観の馬鹿らしさは痛感しています。

今も世田谷に一軒家が建てられるくらいの経済的な価値がある茶器はあるでしょう。

そして、その茶器には確かに芸術的な価値があるでしょう。

まあ、それでも芸術も非常に相対的な価値観でしかありません。

亡くなってからその絵が評価されたという画家は数え切れないほどいます。

地上の人たちは毎日のように一国が買えると言う茶器に踊らされながら生きているのです。

人生をかけ、命をかけ、時には人を憎み、人を妬み、激怒し、愛し、涙し、そうした全てをかけて手にいれようとしたものが、飢餓の国の茶器だったりするわけです。

その時はわからない。

目先のことで手一杯の時にはわからない。

大義、正義という名前で呼んでいるかも知れない。

しかし、それは3.年後にはがらくたと言われる茶器かも知れないのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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