1360th  偶然ではなく上が動いたのでは | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

僕がどうということではなく、今、この時代に日本に生まれて水波霊魂学と出会えた人たちには生まれてすぐから守護霊や指導霊の遠大な計画があったのだと思っています。

神伝の法が地上に示され、それが継承されていかなければならないこの時代に日本に生まれていることに大きな意味があるという方は何千人、いやもしかしたら何万人、何十万人もいらっしゃると僕は思っています。

残念ながら、地上の生活はその意味を忘れさせますし、守護霊や指導霊の方々が必死で動いても、恐らくそのほとんどは水波霊魂学に辿りつかなかったり、なんとか辿りついたとしても霊的修行者になるまでは至らないということなのだと思います。

その意味では、どなたにも霊的目覚めるチャンスはしっかりと用意されていると感じているのです。

僕が、昨日書いた6年2組には上手く表現出来ない不思議な感じがありました。

20歳くらいころからずっと不思議に思っていることはクラスメイトの学歴の高さです。

新興住宅地とは言え、岐阜の可児という田舎のありきたりの小学校のたった一つのクラスにしては、進学高校校に行く確率が非常に高かったですし、大学については絶対にあり得ないというような結果が出ていました。

一人は高校時代、模試で岐阜県で一番になったということでその進学高校においても歴代一番の神童と言われたM君がいましたし、T君は高校時代、某予備校の名古屋大学医学部模試でいつも一番をとっていて、京大合格後は某予備校のパンフレットの表紙になっていました。

神童M君は東大卒業後、某世界的な自動車メーカーに行って、エンジンの設計をしています。

T君は昨日書いたように、あることで名古屋大学医学部ではなく、京都大学の医学部に入り、医者になりました。

そして、それだけではなく、その他にも全国の国公立大学や有名私立大学に行った人が二桁以上の数いるのです。

僕の親友も東京理科大学を卒業して、神童M君とは違う自動車メーカーでエンジンの設計に携わっていました。

小学校の同じクラスの二人が車のエンジンの設計をやるなど確率的にはあり得ないことです。

まあ、地上の話としては、へえーそんなことがあるんだという程度の話ですが、やっぱり何かが異常なのです。

その小学校ではその前後数年間で東大や京大にいった生徒は一人もいないそうです。

学歴と霊的な成長は関係ありませんが、僕は学力だけではなく、あのクラスには何か特殊なものを感じていたので、今回霊的な何かがあったのではないかと思い始めました。

ただ、学歴の高さについては一応、理由が分かりました。

小学校に入った頃から、M君とT君は学力的に異常に高いものがあり、田舎の公立小学校の先生では教えることが出来ないということになったそうです。

しょうがないので、小学校の最後の2年間、5年生と6年生は、通常のように生徒の学力を均一化しないで、学力の高い子ばかりをひとクラスに集めて、生徒同士にいろいろなことを任せてしまうとともに、県内では優秀だとされていた先生をわざわざその小学校に転勤させて、2年間担任をさせたそうです。

また、なぜかあの学年だけ、二人の異常な生徒以外にも学力が高い生徒が集中していたそうです。

なぜ、あの先生が、小学5年生にむかって、「ボロを着てても心は錦などという言葉は誤魔化しに過ぎない。嘘だ。」などと、大人にするような話ばかりされていらっしゃったのかやっと理由が分かりました。

とにかく、あのクラスは学力だけではなく、何かが違っていました。

そして、今振り返ると僕にとってあのクラスは霊的修行者になるまで、そしてなってからの過程において、極めて、極めて大きな意味があったと強く感じています。

細かいことはこれ以上書きませんが、小学生の時、引越しをしてあの小学校に行ったのは偶然ではなく、上が動いたのではないかと思います。

守護霊や指導霊の方々のなんらかの明確な意図があったのでしょう。

僕は自分が選ばれた人間だと申し上げたいのではありません。

ただ今、霊的修行者として歩んでいるという事実に鑑みた時に、かなり幼い頃から、上の動きはあったのだなと強く感じているのです。

学歴や職業や肉の脳の学力など霊的な成長とはなんの関係もありませんが、僕の場合には将来霊的に目覚めるための布石としてあのクラスが必要だったと思います。

一つだけ書けば、僕が司法試験を目指し、挫折するための最も重要な要素があったのです。

司法試験の挫折がなければ、今も僕は霊的に目覚めていなかったからです。

そして、そのようなことは、僕だけでなくどなたであってもそれぞれの人生や育った環境の中で、霊的に目覚めるための過程やチャンスとして用意されているのだと思います。

それを生かすことが出来るかどうかが問題なのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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