踏み絵が今の世の中で行われたらどうなるかと考えたことがあります。
踏み絵が行われるほど霊魂学徒の数は多くありませんが、仮に行われたとしたらどうなんでしょうか。
生きて何かほんのわずかでも霊的な活動が出来るのであれば、恐らくなんとしてでも生き残ろうとするかも知れません。
生きるのが面倒くさいと言っている人間がおかしいと思われるかも知れませんが、生きる必要があると思えばどんなことをしてでも行き続けようとするでしょう。
物質的な写真や絵を踏んだとしても霊的な活動のための正しい選択をしていると思えば悔いはないような気がするのです。
そうでなければ・・・・・。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊をさぐる
、弁慶と弟子
、ねこメット動画
(修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。
踏み絵などがあったとしても僕は霊的修行者としての究極の選択にはならないと思っています。
究極の選択はもっと違う場面で、違う方法で訪れるでしょう。
そんなに遠く未来にその時が来ると思っています。
霊的な事実を物質の価値観で考えてみても答えは見つかりません。
ではどうすれば良いのでしょうか。
わからないことは現時点ではわからないとするしかないと思います。
しかし、どうしてもすぐに結論を出さなければならない時は、決断するしかありません。
その結果がどうなるかはわかりませんが、より良い判断が出来るよう普段から準備して訓練をしておく必要があるでしょう。
人は訓練していないことは絶対に出来ないからです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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