卑弥呼というのは特定の個人ではないというのが霊魂学の視点から見た事実ですが、ポイントは鏡にあるようです。
高貴な存在と交流し契約すれば、鏡と言う地上の物質を使って霊的な技法が行えるのです。
霊魂学徒である霊的修行者は、神伝鎮魂法奥伝で鏡を使うことになります。
鏡の鎮魂です。
個人的に思っていることですが、僕にとってはこの鏡の鎮魂が霊的に大きな影響を与えているような気がします。
霊的修行者として腹を据えて生きていこうと決意したのも鏡の鎮魂の研修合宿中でした。
そして、数日前に鏡の鎮魂を行っている時にふと感じたことがありました。
もちろん、世間で言うような霊的な体験ではありません。
しかし、僕にとっては極めてはっきりと感じたことがあったのです。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊をさぐる
、弁慶と弟子
、ねこメット動画
(修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。
それは、今後、地上の人間として、しかし霊的修行者として生きていく上で非常に重要なことでした。
肉体の自分も幽体の自分も霊体の自分も神体があるとしたら神体の自分も本体も魂も全て自分であるということなのですが、言葉で表現出来ることではないのでこれ以上は書けません。
地上では肉の維持を優先するしか生きようがありませんが、やはり人と言うのは肉で限定できるようなちっぽけな存在ではありません。
地上での一時の幸せやずっと続く苦悩とは全く別のところに人の本質があります。
肉の辛さ。肉の快楽。仕事。家族。命。
魂。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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