死刑が執行されるたびに報道がされますが、いつも不思議なことだと思っています。
刑事訴訟法には、死刑判決確定後6ヵ月以内に法務大臣が執行を命令しなければならないとあるからです。
地裁レベルの判例では、同条2項は、死刑という重大な刑罰の執行に必要とされる慎重さと確定判決に必要とされる執行の迅速性という相反する要請を調和するために一応の期限を定めたものであって、法的拘束力のない訓示規定であり、(同条の定める期間を徒過したとしても)特に違法ではない、としていますが、あまり説得力がないですし、判例と言っても高裁や最高裁のものではないので、確立された司法判断ではないと思っています。
死刑執行の報道を見ていると、6ヵ月以内にすべきを今頃やっているというものではなく、執行してしまったというやや批判的なものが多いように感じます。
死刑廃止論があることは十分承知していますが、法の執行や法の遵守と立法論は本質的に問題が異なります。
法治国家でありながら、つくづく日本のマスコミは恣意的な報道をするものだと感じさせられる瞬間です。
ところで、人が人を裁いて殺してしまうと言うことは霊的に見ればどうなるのでしょうか。
基本的に、人が人を裁くなどと言うことはおかしなことですから、それによって殺してしまうというのは霊的に良いこととは思えません。
もちろん、被害者や被害者の家族の心情というものがあるからこそ、法によって死刑制度があるのですが、道徳とか何とかというのではなく、人が地上の善悪で判断して、他者を殺してしまうということに大きな問題があると思っています。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
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立法論としての死刑制度の是非については、この場では申し上げる気はありませんが、地上の人が作った法というものは、非常に難しい部分があるなと思わされます。
完璧な法など絶対に作れないのに、実際にはその法によって、人生が大きく変る方々が大勢いるのです。
悪法も法なりですから、法治国家においては、社会の一員として法を守ることは当然必要です。
僕たち霊的修行者もまずはそれを第一に考えています。
社会からはみ出してしまっては、まともな霊的活動など出来ないからです。
但し、それと法という価値観が霊的に見て正しいか否かという問題は全く違う話だと言うことを申し上げたいのです。
犯罪者として投獄されておられる方々が全て霊的にも悪とされるかは別の評価になるでしょうし、そのような方であっても神伝の法を実践すれば、努力に応じて霊的な進歩向上していくようです。
それは、過去に犯罪や過ちを犯した方であっても同様です。
霊的に目覚め、霊的進歩向上する道は誰にでも開かれているのであって、地上の価値観による法とは別次元にあるということです。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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