1172th  極東軍事裁判 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

いわゆる東京裁判です。

この時期に必ず報道される靖国参拝問題と関係が深いためか、「そこまで言って委員会」で東京裁判や原爆投下の是非について討論がされていました。

日本の閣僚が靖国神社に終戦記念日に参拝すると中国や韓国が大騒ぎするのは、東京裁判でA級戦犯とされた方々が祀られているからです。

A級戦犯を神として祀ることは日本の侵略戦争を肯定することになるという理屈です。

まあ、この件はともかくとして、東京裁判に法的な正当性がないことは明らかです。

極東軍事裁判条例という訳される法ではないもので、裁判がおこなわれているからです。

百歩譲って法だとしても、典型的な事後法であり、事後法で刑事裁判は行えないというのは、当時においても基本中の基本であって、それを断行してしまえば、法そのものの否定ということなります。

但し、それは法的な議論です。

歴史は勝者が書くものですから、法など関係ないのです。

一応、先進国らしい体裁を大義によって整えることが出来れば、法が全てと言っている当事者が茶番劇とも言えるような事後法による裁判の体をなさない裁判もどきで人が人を裁いて殺してしまうわけです。

これが地上の善悪であり、地上の法の正体なのです。

社会の一員として、法を守る必要はありますが、法や正義というものは、その時、その場所、その時の勝者と敗者の力関係でいくらでも変えられるものなのです。

人という霊的生命体にとって本質的には全く関係ないことです。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 ねこメット動画 (修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。 


何度も書いていることですが、人は目先のことになるとそれを忘れてしまいます。

直接的な利害関係が生じれば、誰でもそうなるのです。

別にお金や名誉がかかっていることだけが利害関係なのではありません。

信念や思想、強い思いや霊的カルマから来ている何らかのこだわり、信仰心。

何もかも自分にとって大切と思われるものは全て利害です。

利害以外のなにものでもありません。

人はその利害関係で動かされるのです。

そしてそれが個人の信仰心であっても他者との接点があれば、全て単なる利害です。

それを利害ではなく、正義だとか大儀だとか言い始めたら必ず穴に落ちるのです。

キリストが地上に降りられたのは地上の人と直接接触されるということに最も重要な意味があると僕は思っています。

他社との接触に己の正義を持ち出したら、何も伝えることは出来ません。

霊的な事実は事実。

霊的な真実は真実。

しかし、そこには己の正義はありません。

人は地獄に落ちる自由も神を冒涜する自由も与えられているのです。

それが霊的にどのような意味を持つかということは別問題ですが、それもまた現実なのです。

そして、その現実からくる当然の結論を今人類は甘受するしかないというのも事実なのでしょう。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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