1168th  見返り | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

霊的に進歩向上するには、とにかく神伝の法を実践するしかありません。

霊的トレーニングを行い、トオゥ・ライ・シェイに参加するしかないのです。

それに加えて日々の普通の生活での修行も同じくらい重要になってきます。

地上で生きているうちは肉の脳を使い、肉の身体を使って生活するので、霊的な部分と肉との調整が必要なのです。

これを怠ると大きな落とし穴に落ちます。

それでは、以上のことだけが霊的進歩向上に必要なのでしょうか。

実は、他にもあります。

他者が霊的に目覚めたり、霊的に進歩向上することの手助けをすることです。

自由意思もありますし、そこまで手が回らないというのがほとんどの場合ですので、あまり強調されてきていませんが、実は極めて重要です。

神伝の法が初伝、次伝で終わらずに、更に中伝、奥伝、秘伝まであることに鑑みれば明らかです。

しかし、他者へのアシストに見返りを求めると意味がなくなるようです。

神霊やキリストや高級霊魂に見返りを求めることは霊的にプラスにならないということです。

修行仲間の方々にも熱心に霊的活動をされておられる方がおられます。

その方々がどのような意識をお持ちなのか分かりませんが、恐らく見返りを求めていらっしゃる方はほとんどおられないと思います。

霊的な修行がある程度段階が進み、時間が無い中でも何とか霊的活動をしようとされる方はやはり霊体や場合によっては神体の影響も受けておられるでしょうし、それぞれの状況に応じて、思うところがあるのだろうと感じるからです。

そこからは見返り云々という気配は感じられません。


さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊をさぐる 弁慶と弟子 ねこメット動画 (修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。 


もちろん、肉の人間ですから、どこかで自分自身を霊的に高める要因になれば良いという思いもあるかも知れません。

しかし、僕個人のことで恐縮ですが、そんな思いも一切ないのです。

僕のような利己中心的な人間が、微塵もないと公言してしまえるのです。

これは、神伝の法の実践を積上げて頂かなければ一切理解して頂けないでしょうが、本当にそのような心境なのです。

肉を維持するための生存競争においては、まあいわば仕事においてはある程度の計算もしますし、かけひきもします。

当然、収入を得る為に仕事をするのですから、その意味では見返りを常に意識して働いているわけです。

ところが、ある修行仲間の方も仰っていましたが、そちらの方もある程度緩和されてくることがあるようです。

もちろん、地上の人として生きていく間はそれがなくなってしまっては困るのですが、そのような傾向があるようです。

そして、個々によって温度差はあると思いますが、霊的な活動に対しては、そのような心境というか、そんなことはどうでも良いし、例え、霊魂学が正しくなくても自分が信じたんだから何の後悔もないという気持ちになっていくようです。

全て自由意思の中でそのようになっていくのが不思議でたまりませんが、僕自身や話を聞いたことがある方はそうなのです。

こんな恥ずかしい本音は公表したくありませんが、神伝の法の実践者の事実の一端を多くの方々に知って頂きたいからあえて書いています。

人という霊的生命体は、肉を維持する為の生存競争にあけくれるだけの存在ではないと言うことが、深く、深く、実感出来ます。

己の汚い部分や醜い部分をよく知っているからこそ、それが不思議でたまらないのです。

霊魂学は実践しなければ、その真実のほんの一端も知ることは出来ません。


求めよ。


求めるとは、祈ることではなく、行動することです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。

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