人は生きるためにはなにごとも。
人が生きるということは、肉の身を保持し続けることであるが、同時に肉の身を省みずに行為することなり。
その意味は、やがて分かる。
どなたか知りませんが、かなりレベルの高い指導霊の方からの言葉です。
神伝禊法も神伝鎮魂法も中伝の時に公開霊査で指導霊から最後に言って頂いた言葉です。
7、8年前のことだと思いますが、こんなわけの分からない言葉の意味が分かるようになるとは信じられませんでした。
霊的修行者ではなく、「人」が生きるということは、そういうことだそうです。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊をさぐる
、弁慶と弟子
、ねこメット動画
(修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。
今はこの言葉の意味が分かるような気がします。
気がするだけなので、分かってないのかも知れませんが、やはりそういうことなのだろうという気がするのです。
人は動物ではなく、霊的生命体なのですから、例え肉の身体を着てしまっても、どうしても優先したいということは肉の維持だけではないということです。
それが霊的修行者になると個々の事情や個性によって、さまざまな形で表れるのだと思います。
霊的な進歩向上が至上の神に近づくことであれば、最終的には同じ方向に集約されていくのでしょうが、地上にいるレベルではその表れかたはバラバラで、それは一見対立するように見えることもあるでしょう。
しかし、結局は同じ方向に集約されていくのです。
にも関わらずその対立する部分を際立たせて、実際にいがみ合ってしまうのでは話にならないでしょう。
感情は完全にはコントロール出来ませんが、必要があるのであれば、それを訓練によって差し障りがないものにすることが日々の修行なのだと僕は思います。
幕末の頃は、己の正義と大義によって、問答無用で人を何人殺しても維新の獅子だと胸を張っていたのです。
そのこととどこがどう違うのか僕には違いが分かりません。
霊的な視点で考えれば、人を殺すことよりも罪は重いのかも知れません。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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