霊魂学に出会う前、霊能力と呼ばれるものの存在自体は肯定しながらもそのことに本当の意味があるのか疑問を感じて、霊的真実を求めていた頃、自然と言うものから何かのヒントを得ようとしていた時期がありました。
要するに古神道の原型と言うか、地上の人が作った宗教ではなく、大昔の素朴な信仰の中に真実が隠されているのではないかと思っていたのです。
霊魂学に出会ってからはそんなことは考えなくなりましたし、自然yは物質界のものですからそれ自体に真実はないと思いますが、やはりそこには何か暗示のようなものがあるのではないかと思っています。
人という霊的生命体が地上に降りる時に物質界で人が生きることを前提にいろいろな調整が行われたようですから、肉を着てしまっても霊的な何かを感じられるように多くの仕掛けのようなものが用意されたと思うのです。
それは地形に現れていたり、四季というものを作り出したことに意味があったり、もしかしたら太陽や月もその仕掛けとして存在しているのではないかと考えているのです。
実際に人類は、山や海や太陽や月や水や風から何かを感じて、宗教的な行為を行ってきたと思います。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり
、わかりやすい霊魂学
、霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)
、霊をさぐる
、弁慶と弟子
、ねこメット動画
(修行仲間の方々が作られた動画が全て見れます)などをご覧になって頂ければと存じます。
未熟な霊的修行者である僕としては、自然から何かを感じて修行に生かすなどということは到底出来ませんので、山に登ってみたり、月を拝んでみたりということはしたことがありませんが、ずっと前から月に対する拘りがあるということはこれまで何度も書いてきた通りです。
拘ると言っても物質的な月の知識は皆無ですし、古事記では記述が少ないツクヨミノミコトのことを詳しく研究したことがあるわけではありません。
しかし、僕は太陽ではなく、他の惑星でもなく、なぜか月に拘りを持っているのです。
理由は分かりません。
単なる意味の無い好みなのか、何か理由があるのか、あの世に行ったら守護霊の方に聞いてみたいと思っています。
自殺願望は全くありませんが、あの世に行ったらいろいろなことを聞けるかも知れないので楽しみだという気持ちが常にあります。
あの世に早く行きたいという理由の半分は楽しみで、残りの半分は地上での生活があまりにも馬鹿馬鹿しいという逃げの気持ちです。
ほんとに馬鹿馬鹿しい。
僕が生きていることには何の意味もありませんし、まったくもって馬鹿馬鹿しい人生だと思いますが、霊的な活動をやるのであれば少しは意味があるということなのでしょう。
もうしばらくは生きていくのでしょうから、もっと努力しなければならないと思っています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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