母方の祖母と小学生の高学年の頃から同居していたのですが、祖母の口癖の一つに「おじいちゃんは人生すねた。あんたには弁護士になってもらいたい。」というものがあります。
祖父は、 弁護士になりたくて、家を飛び出し、東京で働きながら早稲田大学の夜学に通って、司法試験の勉強をしていたそうですが、無理やり親に連れ戻されて、伊勢に帰ってきて、弁護士の夢を諦めたという経験があったそうです。
しかし、その夢破れた思いを亡くなるまで持ち続けていたようで、お酒を飲むと良くない状態になっていたようです。
具体的にどういう状況だったかは知りませんが、飲んでくだを巻いていたのでしょう。
人生すねたというのは、人生に挫折して、自暴自棄になってしまったという意味の伊勢弁なのでしょうか。
あまりにも何度も聞かされた言葉なので、今も記憶に残っています。
掲示板にも少し書かせて頂きましたが、僕も挫折が多く、ジェットコースターのような人生を送ってきましたので、恐らく霊魂学に出会わなければ、人生すねていたことでしょう。
それがよく分かるのです。
人は、これだけはどうしても何とかしたいと強く思うことがありますが、ほとんどの場合は、その願いは叶いません。
だから、苦しいのです。
また、その願いが叶ったとしても、それで全てが解決するわけもなく、そうなったらなったで、その状況に慣れてしまい、幸福感は持続しません。
手に入れたいからこそ強い思いを持ち続けるのであって、手に入ったらその思いは無くなりますし、それをベースに次の願いが出てくるのです。
そして、逆のそれを失うと極めて大きな挫折感に苛まれます。
いずれにしても、物質的な願いというものは、永久に満たされない上に、失うと物凄い精神的な打撃になるのです。
そのことに振り回される限り、どんなに成功しようが、例えオリンピックで金メダルを取ろうが、メジャーリーガーとして年俸30億円貰おうが、常に苦悩はありますし、完全に満たされるということはあり得ないのです。
さて、このブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング
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以上のことは、地上の価値観においても分かりきっている話なので、最近は、癒しだのスローライフだの精神的な安定を物に求めないことが良いとされていますが、実際にはそれも物を必要以上に求めないというだけの話であって、そのような生活だから苦悩がないということにはならないのです。
生きていく以上、人間関係が無くなるわけでなし、住むところと食べるものは必要なわけですから、根本的なことは何も解決しないのです。
だからこそ、どんなに叩かれても世の中から宗教はなくならないのです。
人は霊的生命体であり、本質的には宗教的だからです。
物質の動物の生活が本来の生活ではないから、そうではない宗教の世界には気付くか気付かないかは別にして、ベースがあるのです。
だからこそ、霊魂学は無神論、宗教否定論よりは、まだどんな宗教でも信仰心があるほうがはるかにマシだと教えるのです。
その信仰心が、霊魂学や神伝の法に向かって欲しいと霊的修行者は誰もが思うのですが、そこには常に自由意思の壁があるので、少しでも強引な勧誘活動はご法度となっていて、どうにもこうにも霊的に目覚めてくれる方がどんどん増えていくということにはならないのです。
もちろん、入会しても簡単に辞められるので、そもそも強引な勧誘をしても何の意味もありません。
とにかく、個々には強く誘えないので、一般論として、僕のようなものが毎日ブログでわめき倒すということくらいしか出来ません。
なんとも空しいと言うか、もったいないと言うか、もどかしいと言うか、表現が難しい気持ちが毎日沸き起こってきます。
何とかもっと多くの方々に霊的に目覚めてもらえないものでしょうか。
予想した通り、世の中はどんどん悪くなっています。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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